2009年10月10日 (土)

高級ブランド不振!ヴェルサーチ日本撤退

 イタリアのヴェルサーチは日本から撤退することになった。すでに店舗は閉店しており、日本法人も清算するそうだ。このところの不景気で、海外高級ブランドは、どこも苦戦している。ヴェルサーチに続いて撤退・縮小するブランドが増えるに違いない。

 ヴェルサーチの商品は、日本法人のヴェルサーチ・ジャパンが輸入し、直営店などで販売してきた。しかし数年前から店舗数を縮小。8月からはデパート内の直営店舗も全部閉鎖した。

 ヴェルサーチ・ジャパンは、「日本は重要なマーケットであり、来年には再度出店するか、卸による商品販売を再開する予定」と説明している。売り上げは減少しても、日本でのヴェルサーチの人気は相変わらず高い。

 ヴェルサーチは、81年に日本での販売を開始した。当時はバブル期で、凄い人気を集めて売り上げを伸ばした。しかし、アメリカの金融危機による世界的な不景気により、売り上げは大きく減少した。

 80年代のバブル期、ヨーロッパへ出向いて、高級ブランド店で大量に買い物をする日本人女性の団体が、何かと話題になったものだ。あの当時は、本当に日本はリッチだったのである。

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2009年9月29日 (火)

ネット社会とファッション・トレンド

 現在はとにかく生活のスピードが早い。情報化時代のデーター処理速度に合わせるかのように、誰もがせっかちになってしまった。自動改札で足を止めようものなら、後ろの人間がブーイングをする。レジの支払いでまごついたりすると、後ろの人間はさっさと隣のレジへ走っていく。そのまま並んでいた方が早く終わったとしても。

 ファッションのトレンドに対しても、みんなせっかちになってしまった。常に新しいスタイルを追い求めていないことには気がすまない。そうした傾向は、ファッション業界にとっては、まことに有りがたいことである。売場の商品が次から次と入れ替わってくれるからだ。

 その一方で、シャネルなどの古いコンサバ系の古着を買ったり、かまやつ女のように流行に背を向けたり、決まった自分のスタイルをずうっと貫き通す連中もいる。意図的に彼らは時計の針を止めてしまっているのだ。いったんそうしたスタイルを確立すれば、どんなに気分的に楽なことだろうか。

 とにかくインターネットが生活のスピードをアップさせた。インターネットが無かった時代のことを知っている人間なら、臨機応変にスピード調節をできるのだが、今の若い人にはそれができない。スピード病になるのが嫌だったら、時計を止めてしまうしかないのだ。各駅停車でゆっくりとした人生を過ごしたい若者にとって、トレンドというのは、実にやっかいなものなのだろう。

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2009年9月22日 (火)

世界でブレーク!日本のストリート系ブランド

 「世界のストリート・ファッションの首都は東京である」と、インターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙が2000年に書いたことがある。そのことがクリスチャン・ディオールのデザイナーにも少なからず影響を与えた。ルイ・ヴィトンは2003年に村上隆の漫画チックなデザインを春夏のコレクションに取り入れた。村上のマジック・マッシュルームは、ルシアン・ぺラフィネのカシミアセーターのモチーフとしても使われた。


そして2004年には、マンガのキャラクターが、最も新しいファッションのテイストとなって世界を席捲したのだ。世界のファッションの中心地のパリが、日本の大衆文化を受け入れたのである。同時に、KAWAIIという言葉が、世界にインパクトを与えてインターナショナルな形容詞になった。


 パンクやヒップホップの出発点が反体制だったのに対して、マンガ・ファッションにはそうした重苦しいものがない。幼児的な「かわいい」というシンプルなテイストがあるだけだ。子供っぽくて実に単純な感情を表現しただけのものを世界も受け入れたのである。幼児性、わかりやすさ、奇異で猥雑なものが入り混じったマンガとファッションが、このまま世界中に浸透していって、パンクやヒップホップのようになるのかどうか注目したいと思う。


 最初98年頃から、ハローキティー、鉄腕アトム、ドラえもんなどのキャラクターがファッションアイテムとしてロンドンでブレーク。それに便乗するかかのように、エヴィスジーンズやドゥニームなどのジーンズメーカー、裏原宿系のグッドナイフやエイブ、ポーターなどが人気を集めた。それ以外にも、アバハウス、マサキ・マツシマ、ファイナル・ホーム、アトウ、ポーター、オルソ、ヨウイチ・ナガサワなどがロンドンでも手に入る。日本のストリート・ブランドのブームが起きつつあるのは間違いない。



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2009年9月17日 (木)

ファッショントレンドとイチローのタートルネック

 トレンドはファッションを動かすエネルギーである。流行がなければ、次から次に服を買ったりしないだろう。必要な最低限の服さえ確保していればいいのだから。

  トレンドな服って、なんか恋愛感情に似ている。好きな異性を遠くから眺めている時が一番幸せなのと同じように、服を売場で見ている時が最高なのだ。実際に手に入れてしまうと、少しずつ熱がさめていく。買ってしまう服の大半が、一年後、いやシーズンの終わりには着ないことが多い。極端なことを言えば、トレンドの寿命は、買った時点で終わってしまうのだ。

 誰もが新たなトレンドに惚れこむが、やがてそれに飽きると、今度はそれをダサいと感じる。その繰り返しがトレンドで、そのサイクルが、最近はドンドンと短くなってきた。東京ー大阪間を特急こだま号が六時間かけて走っていた頃は、ファッションの流行が長かった。三年から十年のサイクルでゆっくりと変化していった。

 しかし最近は、数ヶ月でそのトレンドが魅力を失ってしまうことがある。それを知っていながらも、新しいトレンドに飛びつくのだ。お金が余っている訳じゃないのに。猫もシャクシも。

  そうした傾向に逆行したヤング層が、数年前に増えたことがあった。「三丁目の夕日」の影響を受けた所為じゃないと思うのだが。オードリー・ヘプバーン風のクラシック・スタイル系や、70年代のミュージシャン風の「かまやつ女」等がそれだった。トレンドに背を向けて、楽で安上がりで、しかも個性的なファッションをエンジョイしていた。

 そう言えば、最近、イチローが時折ニットのタートルネックを着ている。タートルネックなんて、昔の古いトレンドの代表みたいなものだ。しかし、イチローが着ると新しいアイテムのように感じるから不思議だ。イチローのファッションセンスが、タートルネックを新しく感じさせるのだろう。早い話、トレンドなんてそんなものなのである。

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2009年9月 9日 (水)

裏原宿独立系ブランドの実態

 裏原宿のインディーズ・ブランドのように、ストリート系やクラブ系の客層をターゲットにした独立ブランドが最近注目を集めている。ほとんど全部のデザイナーが、アパレル・メーカーに就職して服つくりの基本を学んでいる。規模の小さいインディーズ・ブランドでは、生地や付属品などの調達先や、縫製などの加工場の管理も全部しなければならない。

 メーカー勤務のデザイナーの場合は、アイデアをデザイン画に起こして、パタンナーや工場に指示を出すだけでいい。しかし、独立ブランドのデザイナーは、その他のいろんな仕事を一人でやらなければならない。

 その中でも難しいのが、資金繰りである。商品が売れても売れなくても、生地屋や縫製屋には、決まった日に支払いをしなければならない。どんなに才能があっても、資金繰りの難しさにKOされてしまうデザイナーが多い。支払いが出来なくなると、会社は倒産ということになる。

  デザイナーとしての才能も重要であるが、それと同じくらい資金力も必要になってくる。資金集めをしっかりとしてから、独立をしないことには、せっかくのセンスも才能もパアになってしまう。成功してしまえば、かなりの収入が期待できるが、それまでの苦労は半端じゃない。

 開店前に客が店頭に並んでいる店がある。そのくらい売れて、やっと採算が取れるのだ。そうした状態が一年以上続けば、なんとか安定期に入るのである。客というのは気まぐれで、いつまでも同じブランドを追いかけてくれない。売れる時に集中的に販路を拡大すれば、昔のボートハウスのようにビッグネームになることだってある。

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2009年9月 3日 (木)

外国で人気のある日本ブランド

 ヒステリックグラマー、エヴィスジーンズ、ドゥニームなどが、ロンドンへ進出してブレークしているらしい。他にもロンドンでは、キャラクターやストリート系のメンズブランドが成功した。アジアの香港や韓国や台湾では、ヤングのレディースやDC系のブランドがブレークしつつある。

 香港のセレクトショップで人気があるのは、ツモリ・チサト、アバハウス、パドカレ、プゥドゥドゥ、トゥーアクーなどで、現地の専門店とフランチャイズチェーン店契約を結んで出店している。そうした日本ブランドだけを集めた大型セレクトショップもオープンした。

 台湾では台北市内のショッピングセンター・ワールドジョイスに、「ユージ・ヤマダ」や「ゴム」などの若手から中堅のデザイナーブランドを集めたセレクトショップがある。そこでも「ツモリ・チサト」を扱うようになった。日本ブランドのブームは日増しに大きくなりつつある。

 そうしたブームの背景には、ファッションリーダー的な日本人ミュージシャンの大きな力がある。安室奈美江から始まって、浜崎あゆみ、倖田來美などが、香港、韓国、台湾などで絶大な人気を得ている。昔の日本の若者が、欧米のミュージシャンの影響を受けたのと、まったく同じ現象がアジアで起きているのだ。

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2009年8月16日 (日)

日本のストリート系ブランドの世界的ブーム

 「世界のストリート・ファッションの首都は東京である」と、インターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙が2000年に書いたことがある。そのことがクリスチャン・ディオールのデザイナーにも少なからず影響を与えた。ルイ・ヴィトンは2003年に村上隆の漫画チックなデザインを春夏のコレクションに取り入れた。村上のマジック・マッシュルームは、ルシアン・ぺラフィネのカシミアセーターのモチーフとしても使われた。


そして2004年には、マンガのキャラクターが、最も新しいファッションのテイストとなって世界を席捲したのだ。世界のファッションの中心地のパリが、日本の大衆文化を受け入れたのである。同時に、KAWAIIという言葉が、世界にインパクトを与えてインターナショナルな形容詞になった。


 パンクやヒップホップの出発点が反体制だったのに対して、マンガ・ファッションにはそうした重苦しいものがない。幼児的な「かわいい」というシンプルなテイストがあるだけだ。子供っぽくて実に単純な感情を表現しただけのものを世界も受け入れたのである。幼児性、わかりやすさ、奇異で猥雑なものが入り混じったマンガとファッションが、このまま世界中に浸透していって、パンクやヒップホップのようになるのかどうか注目したいと思う。


 最初98年頃から、ハローキティー、鉄腕アトム、ドラえもんなどのキャラクターがファッションアイテムとしてロンドンでブレーク。それに便乗するかかのように、エヴィスジーンズやドゥニームなどのジーンズメーカー、裏原宿系のグッドナイフやエイブ、ポーターなどが人気を集めた。それ以外にも、アバハウス、マサキ・マツシマ、ファイナル・ホーム、アトウ、ポーター、オルソ、ヨウイチ・ナガサワなどがロンドンでも手に入る。日本のストリート・ブランドのブームが起きつつあるのは間違いない。



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2009年8月12日 (水)

2000年「ギャル・ミックス系」までのストリート・ファッションの流れ

古着・フォークロアーミックス
ボーイズ系
ミックス系
 良質な普通系
ミニスカート
  ガングロ
 ヒッピー
アイビー
 ボディコン
ヒップホップ
ボーイズ系
セクシー系
ストリート系
インディーズ
かまやつ女
ギャル・ミックス系
ニュートラ
ベルボトム
ミリタリー
 渋カジ
 ワンレン
ギャル全盛    ネオDC全盛 
   
「極・単」スタイル
ギャルのマス化
「らくちん」カジュアル
ガングロ
ネオ・ヤンキー

ギャルの成人化
ヤンキー
チーマ
しぶカジ
キレカジ
ハマトラ
ヤンキー

40年間のトレンドの変貌ファッション30年史

1964年・・・・・・・・ アイビー・ルックの流行

1965年・・・・・・・・ クレージュ、ミニ・スカート発表

1966年・・・・・・・・ ミリタリー、モッズ・ルックが流行

1967年・・・・・・・・ ミニスカートが大流行

1968年・・・・・・・・ ヒッピー&サイケデリック・ファッション

1970年・・・・・・・・ マキシスカート、ベルボトム

1972年・・・・・・・・ フォークロア

1974年・・・・・・・・ ニュートラが流行

1975年・・・・・・・・ メンズビギ創立

1976年・・・・・・・・ シティーボーイの登場

1978年・・・・・・・・ 竹の子族

1982年・・・・・・・・ カラス族登場

1983年・・・・・・・・ DCブランド・ブーム

1987年・・・・・・・・ ワンレン・ボディコンの流行

1988年・・・・・・・・ 渋カジ

1994年・・・・・・・・ シャネラー、グッチャーの登場

1997年・・・・・・・・ 裏原宿、セクシー系

2000年前後・・・ストリート系・B系・ボーイズ系セクシー・コンサバ・ガーリッシュ系

90年代ファッションの総括

 94年頃、「シンプルでいいもの」から「手作りでクリエーティブなもの」へ価値観が転換した。それまでのネオ・ヒッピーやソフト・パンク等がマス化した時期である。手作りのものや古着をコーディネートする傾向がみられるようになり、アイテムからコーディネートへと進化したのである。

 東京コレクションに、新しいデザイナーやブランドがデビューし「知る人ぞ知る」といったインディーズ系のブランドに注目が集まった。そうした時代に出現したのが、最初にルーズソックスをはいた世代である。94年のラフォーレ原宿、パルコ等のリニューアルでファッションを意識するようになった彼や彼女たちは、95年の「セレクトショップ系インポートブランドブーム」、96年の「平成ブランド」ブームに乗り、97年には「109・アルタ系」と「パルコ・ラフォーレ系ネオDCブランド」に二極化した。


 99年、セクシー系のギャルが、一転して普通のカジュアルやネオ・トラッド等へ移行していった。二十代の前半になった彼女たちは、年齢のプレッシャーの所為なのか、一気に変身を図ったのだ。そうした現象も含めて99年は、まさに大きな時代の転換期になったといえる。

 そして2000年を迎え、GAPやユニクロに代表されるSPAによるマックファッションの台頭で、ファッションはさらにエイジレスの方向へ進んでいる。世代だけでなく、性別の差もなくなりつつあるのだ。そうして異なる世代が混在する新しいマーケットが拡大していった。


 

           

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2009年7月22日 (水)

お先真っ暗な日本のファッション業界

 世界的な不況の所為で、衣類が売れなくなった。グッチ、シャネル、サンローラン、ルイ・ビトンなどの有名ブランドでさえ、売上げが3割も減少した。日本で唯一売上げを伸ばしているのが、ユニクロである。その他のファッション業界は、お先真っ暗な状態だ。

 華やかなファッション業界だけど、給料はけっして高くない。大手の三十代の中堅クラスでも、年収は六百万円弱だ。中小の企業となると、賃金はかなり低くなる。デザイナーの場合は、大手でも年収四百万円程度にしかならない。デザイナーの大半が契約社員なので、本社員に比べて賃金は低くなってしまう。

 アパレル会社に勤める唯一の特典は、自社製品の社内販売だろう。社員であれば家族も含めて会社の製品を、売値の半額以下で買える。中小の会社なら、自分の立場を悪用し、返品などの在庫を、好き勝手に手に入れられる。売れ残った服は、最後には焼き捨てられることになるので、会社の管理も厳しくない。それを手に入れてバッタ屋や地方の小売店に売りさばくのだ。

 アパレル業界の労働条件は厳しい。とにかく残業が多い。特にデザイナーやパタンナーは、季節物を扱うために、ピーク時は深夜の二時頃まで残業させられる。昼夜が逆転する時期が年に何度かある。時間にルーズなのが、アパレル業界の最大の欠点だといえる。営業の人間の場合は、自社商品を販売している店に、販売応援にかり出される。会社の仕事だけじゃなく、店で販売の手伝いもさせられるのだ。

 販売の応援に関しては、派遣会社に依頼することが多くなった。しかし、企画の場合は自分達でやるしかない。ピーク時のデザイナーやパタンナーは、想像を絶する忙しさの中で、もくもくと自分たちの仕事をこなしている。営業にしても企画にしても、大半が二十代と三十代で、とても定年まで続けられる仕事じゃない。

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2009年6月 2日 (火)

バッタ屋の裏話/ファッション日記NO.2

 アパレルのバッタ屋の仕事は面白い。何よりも稼ぎが多いし、他にも役得がいっぱいある。縫製工場に山積みになったデッドストックを捨て値で買い取り、それを転売するのが本来の仕事なのだが。


 縫製工場には有名ブランドのサンプルがたくさん置いてある。それを手に入れることも可能だ。縫製工場と顔なじみになっているので、強引に貰っていくことが多い。1万円以上するものばかりで、本当にありがたい。


 そうして手に入れたものは、メンズなら自分で着るし、レディースなら知り合いにプレゼントする。ワイズやミチコ・ロンドンやコムデ・ギャルソンなどは人気があって、皆に喜ばれる。最近は若者向けのブランドが手に入るようになったので、渋谷109系なんかは、錦糸町の若いホステスにプレゼントする。


 そう言えば、Tシャツなんかは、店で買ったことがない。デッドストックの中で1番多いのがTシャツなんで、その中から自分の好きなデザインのものをピックアップする。最近でこそ世界的なブランドになった「ヒステリック・グラマー」のTシャツだが、昔はいくらでも手に入った。その時に手に入れたものが、まだたくさん残っている。


 若い時からファッションには興味があった。その所為か、アパレルのバッタ屋の仕事は面白い。縫製工場の社長に頼まれて、一緒にアパレル・ブランドの本社を訪ねることもある。都心のアパレル・ブランドのスタッフたちと対等に交渉するために、社長の横に座ってニラミをきかすのだ。一番の思い出は、フジテレビのユニホームの仕事で、フジテレビに行ったことだ。社員食堂で食事をした時に、見覚えのある若いタレントたちと相席になった。


ブログ「バッタ屋の裏話/ファッション・密造・コピー品」


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2009年5月20日 (水)

日本のアパレル・ブランドのコピー品

 中国の公州に日本のアパレル・ブランドのコピー品を大量に密造している工場があった。コムデギャルソン、BAPEといった人気ブランドが被害にあった。中国のコピー品なので、品質は最悪である。Tシャツの生地は薄くて、縫製はいい加減の神様だ。


 中国の若者たちの間で、日本のファッションがブレークしている背景がある。そこに目をつけた悪徳業者が、中国で販売するために密造を始めたのだ。コピー品なら中国の経済レベルに合わせた安い価格で販売できるので、それなりの需要があるに違いない。


 中国というのは、まさにコピー品天国である。以前にイベント会場で、ディズニーのキャラクターを真似て、問題になったことがあった。自国に世界的なオリジナル・ブランドが無いから、そうなってしまうのだ。


 同じコピー品でも、密造する国によって品質に大きな差が出る。日本のコピー品は限りなく本物に近い。最近の韓国製も品質が向上した。二十年前は、現在の中国のレベルだったのだが。


 広州の密造工場に中国当局の捜作が入った時、経営者は知らぬ存ぜぬを押し通した。工場内のコピー品は、前に工場を借りていた人間が残していった物だと、しらを切ったのだ。しかし、工場の奥から、首周りに縫い付けるブランド・ネームが大量に出てきたので、それが密造の証拠になってしまった。


 中国には、コピー品の密造工場を見つけだす仕事を専門にする会社があるそうだ。密造工場を捜して、それを外国のブランドの本社に報告するのである。そうしたビジネスが存在するほど、中国はコピー品天国ということだ。


 

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2009年5月10日 (日)

忌野清志郎

 70年代にRCサクセションが日本の音楽シーンにメジャーデビューした時は、ものすごいインパクトがあった。当時の日本のロックシーンは、現在と比べると実に低レベルだった。ビートルズ系のバンドが主流で、リズムよりもメロディーに趣がおかれていた。

 そんな中でRCサクセションはローリング・ストーンズをイメージさせた。すでに関西には「村八分」というバンドが存在していて、日本のローリング・ストーンズと形容されていた。それに対抗するかのように、RCサクセションが東京に出現したのである。それからは、東のRCサクセション、西の村八分という二つのバンドが、日本のローリング・ストーンズのファンから熱い支持を受けた。

 村八分の方はメジャーデビューすることなく消えてしまったが、RCサクセションはヒット曲を連発して、さらにメジャーなバンドに進化していった。極めつけは「雨上がりの夜空に」である。この曲を初めて聞いたときは、本当にスゴイ曲だと身震いがした。それから百回以上は聞いているが、まったく飽きることがない。いつでも初めて聞いた時と同じインパクトを感じるからだ。

 忌野清志郎のサウンドにボブディランとローリング・ストーンズを感じると、ビートたけしが言っていた。確かにそうかもしれないが、ストーンズよりはザ・フーを感じることがある。ザ・フーの「サマータイム・ブルース」のサウンドやイメージを清志郎の曲の中に感じる時がある。どっちにしても、日本のロックシーンに咲いた大きな花だった。ご冥福を祈ります。

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2009年5月 2日 (土)

バッタ屋とユニクロの共通点!?


バッタ屋・銀次郎の繊維業界裏話


 バッタ屋というと、裏社会で何か悪いことをしているみたいに思われている。それはまったくの誤解であり偏見である。バッタ屋といっても、きわめて真っ当な普通の人間たちである。それどころか圧倒的に善人が多い。


 日本の繊維業界の中心地は東京の下町で、フウテンのトラさんみたいな連中が集まっている。繊維加工の職人たちは、ほとんどが根っからの下町っ子で、実に単純で素朴な人間関係を形成している。そこに出入りしているバッタ屋も同じような人種で、お互いに持ちつ持たれつの関係をつくっている。


 繊維業界の製造した服の半分が、焼き捨てられてしまう。それを安く買い上げて転売するのが、バッタ屋の仕事である。そう言う意味では、繊維業界にとっても有り難い存在に違いない。バッタ屋が買い上げなければ、全部の服が焼却されてしまうのだから。実にもったいない話だと思っている。


 製造原価が1000円のものを、100円から200円でバッタ屋が買い取る。それを500円から700円程度で販売店に転売する。製造原価が1000円ということは、店頭の販売価格は3000円前後になる。正規のルートで問屋から仕入れる場合は、2000円前後になるものを、バッタ屋から700円で仕入れられるのだから、販売店も喜んでいる。


 正規のルートじゃない商品を扱うことに対する世間の風当たりが強い。それじゃあ、正規のルートって、いったい何なのだろう?中間に問屋が入っているかどうかの違いだけじゃないか。服を買う客たちには、まったく関係の無い話だ。問屋のことを意識しながら服を買う奴なんて皆無だと思う。客にすれば、1円でも安いものが欲しいんだから。


 正規のルートというのは、社会秩序を守るために、ある面では必要なものかもしれない。しかし、服の販売ルートなんかは意味が無い。ユニクロなんかは、製造から販売まで一貫してやってるから、安くてトレンドなデザインのものを販売できるのだ。服の売上が減少している中で、ユニクロだけは売上を伸ばしている。トレンドな服を安く買えるのだから、当然のことだ。


 製造から販売まで一貫して安い服を市場に流通させるユニクロと、問屋を除外し、正規のルートを外して安い値段の服を転売するバッタ屋は、ある面で似かよっているんじゃないだろうか。繊維業界におけるバッタ屋の存在は、ある意味で必要不可欠なものだと思う。売れ残って焼き捨てられる服を、見事に再生しているのだから。


 このブログを読んでる人で、ファッションとお金儲けが好きな人がいたら、バッタ屋になることを薦めたい。今回、バッタ屋とネットビジネスをプラスさせたマニュアルが、電子出版のインフォ・ジャパンから発売された。完全在宅でも可能。「5千円を一ヵ月で30万円に!」がキャッチコピーになっている。興味のある人は、下記をクリックしてアクセスしてちょうだい!

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2009年4月30日 (木)

10万アクセス突破!イチローと浅田真央と矢沢永吉

 ファッション中毒の訪問者が、累計で10万人を突破しました。こんなブログに、10万人の人がアクセスしてくれたことになります。本当に感謝しています。ありがとう!

 このブログを訪ねてくれる人のキーワードで1番多いのが、イチローなんです。2番目は浅田真央で、3番目は矢沢永吉ということになります。3人とも僕の好きな有名人で、ファッションだけじゃなく、人間的にも魅力を感じています。

 特にイチローのファッション・センスには脱帽します。フォーマルもカジュアルも、すごくお手本になるんですね。何よりも、自分に似合うファッション・スタイルを知っていて、いつも見事に着こなしています。マリナーズのユニフォームだって、すごく似合っていると思います。

 真央ちゃんは、少女から大人の女に変貌をとげている最中です。その真っ只中で、少しずつセンスが変化しています。その過程を見るのが楽しみであり、すごく興味を感じています。以前は安藤美姫のコスチュームに魅力を感じていたのですが、最近は真央のコスチュームに注目しています。ダークな色とレースをあしらった大人っぽいデザインが、本当に似合うようになり、安藤美姫とは違った大人の魅力を感じさせます。

 ついでに美姫のことを書かしてもらいます。彼女の顔って、まさに愛知県の独特の顔なんですね。日本全国の各地に、その土地の顔っていうのがあります。そう言う意味で、美姫は間違いなく愛知の顔だと断言できます。似た顔の知人が愛知に何人かいて、前からそう思っていました。もしかしたら、イチローも愛知の顔かもしれません。

 最後に矢沢の永ちゃんのことを書きます。若い人には馴染みがないと思いますが、昔はリーゼントのバリバリのロックン・ローラーだったんです。永ちゃんのコンサートには、ロックン・ロール族やヤンキーたちが集まって、コンサートの最中に喧嘩を始めるんです。それを永ちゃんが「止めろよ!」とステージから言って諭すんです。永ちゃんがそう言えば、すぐに客たちの喧嘩は終わって、中断した演奏が再開されるんですね。永ちゃんの歌を聴くと、いつもそのことを思い出してしまいます。

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2009年4月17日 (金)

日本発「姫ギャル・ファッション」が世界でブレーク

 ヨーロッパのファッション・ブランドのデザイナーたちが、新しいネタを見つけに原宿を訪ねるらしい。「カワイイ」という言葉は、世界で通用するようになった。「姫ギャル・ファッション」は世界中の女の子を魅了してしまったのだ。日本発のアニメ、ファッション、音楽などの隆盛を、アメリカのジャーナリストが「クールジャパン」と表現している。特に日本のマンガとアニメは世界中の若者を熱狂させている。

 日本のファッション誌「Ray」の中国版の売上は、月に100万部を越えようとしている。ファッション雑誌が100万部も売れるというのは、本当に異常な現象である。それだけ日本のファッションが、中国の若い女性をとりこにしているのだ。「世界のファッションのリーダーは今や日本になってしまった」と、東京に足を運んだ外国人バイヤーやファッション関係者の誰もが絶賛する。渋谷を中心にした原宿、青山、代官山のエリアは、ヤングファッションの世界的な情報源として世界中から注目されるようになった。

 アニメの影響を受けた日本のコスプレは、ヨーロッパの若者の間でもブレークしている。そうしたヨーロッパのコスプレブームを、テレビの報道でも取り上げることが多くなった。ヨーロッパの女の子のコスプレは、いろんな意味で面白い。女子高生くらいの年齢でも、日本人にすれば23才くらいに見える女の子がいる。そんな大人の顔をした大柄の女の子が、可愛いコスプレを着ていると、見ていて気持ち悪くなる。ちっとも似合っていないし、なんか変態っぽい感じがするからだ。日本で生まれたコスプレは、日本人にしか似合わないことを改めて感じることになる。

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2009年4月 9日 (木)

笑い者になった元ヤンキーと元暴走族

 先日、ある城下町の「お城祭り」を見に行った。その時のパレードで面白い集団を目にして、大笑いをした。パレードでは、地元の色んな集団が順番に行進していく。地元の中学や高校の吹奏楽部、日系ブラジル人のサンバチーム、地元の民謡愛好会といった連中が、ゆっくりと歩いていた。

 その中にアメリカのオートバイのハーレー・ダビットソンのチームが参加していた。二十人くらいの40才前後のオヤジたちが、大型バイクにまたがって行進していた。全員が元暴走族と思われる男たちだ。白髪混じりのリーゼントやパンチパーマに、イチローみたいなサングラスをかけていた。ロックンローラーとヤンキーを混ぜたファッションだった。

 市内の中心地をパレードするのだが、行進のスピードが遅すぎる。小さい街なので、道路を全面通行止めにできないからだ。三つの集団が通り過ぎると、後ろの集団は信号の手前で立ち止まることになる。ハーレー・ダビットソンのチームは、徒歩より遅いスピードでバイクを前進させなければならない。子供の三輪車と同じくらいのスピードだ。あまりの遅さに、オヤジたちの顔は怒り寸前になっていた。しかし、パレードの参加者なので、誰も文句を言えない。パレードでなければ、おそらく怒鳴り散らしていたに違いない。

 元暴走族もヤンキーも、中年になってしまえば、社会のルールに従がわなければならない。誰もがすごいストレスを感じたに違いない。ロックンローラーとヤンキーを混ぜたファッションだけは、バッチリときまっていたが、実になさけない元暴走族のオヤジたちだった。

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2009年3月31日 (火)

60年代の昭和ファッションの復活

 平成も二十年代にさしかかった。そんな中で、最近何かと注目されているのが、昭和時代のアナログ的な生活やアイテムである。インターネットと携帯の無かった昭和という時代に、中年はノスタルジーを、一部の若者は興味を抱いている。

 映画「三丁目の夕日」は、平成生まれの若者にも受け入れられた。昭和30年代当時の日本国民は、今から比べれば貧しくて、食べるものは当然のこと、服にも母親の手作りのものがあった。既製服は売っていたけれども、子供の普段着には、できる限りお金を使わないようにしていた。男の子のズボンはツギ当てだらけだったのだ。だけど、皆が同じように貧しかったので、イジメなんか無かった。

 平成元年は西暦の1988年になる。昭和の時代に青春期を過ごせたことを幸福に思っている。バブル期と重なって、誰もが自分の将来に大きな夢を持っていた。努力すれば夢が実現すると、思い込めた時代だったのだ。ファッションも五年のサイクルで大きく変化していった。次から次と新しいスタイルが生まれていった。それを見ているだけでも楽しかった。そしてワンレン・ボディコンのブームで昭和とバブル期は終わった。

 最近の傾向として、60年代ファッションが復活しつつある。当時のロンドンガールのスタイルが復活するのは間違いない。メンズのネクタイもズボンも細くなってきた。そう言えば、先日、久し振りに「かまやつ女」を見かけた。濃いめの草色のハットに、同系色のウエストを絞ったジャケットに、ワインレッドのストレート・パンツをはいていた。「かまやつ女」のスタイルも、実に昭和的だと再認識させられた。

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2009年3月30日 (月)

リーヴァイスとエビス・ジーンズ

 最近、ジーンズ・マニアの間で注目されているのが、日本製のエビス・ジーンズ。特に本場の大阪では人気が高いが、そんな大阪でも、エビス・ジーンズの名前の由来を知っている人は、意外と少ないような気がする。

 エビスというのは、リーヴァイスを真似、七福神のえびす様をもじってつけたブランド名だと思う。「Levi's」からLの文字を取ったら「Evi's」になる。エビス・ジーンズは韓国でも人気が高く、一時期、コピー品が販売されて問題になった。

 リーヴァイスの正式名はリーヴァイス・ストラウス社である。リーヴァイスがジーンズの特許申請書を出したのは1873年だった。そこに添えられた解説図を見ると、一本の細いウエストバンドはついているが、ウォッチポケットは縫い付けられていなかった。本当にシンプルな作業ズボンだったのだ。1877年までに改良を重ねて、現在のジーンズの原型を作り上げた。この頃から「ダブル・エックス<XX>」という名前を使い始めた。これは「ダブル・エクストラ・へヴィー」の商業的な通称で、最も丈夫な10オンスデニムを使用していたのである。

 1870年代のリーヴァイスの製品の中に、「ウエスト・ハイ・オーバーオール」というのがある。これは、まったく違うタイプのジーンズだ。ハイウエストで、後ろの胴回りの中央に、ウエストを調節する小さい尾錠のバックルが縫い付けてあった。ヒップポケットは右側に一つだけ。実際にはいてみると、おへその上の方にウエストがくるんじゃないだろうか。サスペンダーで吊り上げると、どうしても胴のあたりがゆるくなる。それを調節するために尾錠がついていたのだ。

 ぺコちゃんのファッションといえば、オーバー・オールである。オーバー・オールというのは、「デニム、またはそれ以外の丈夫な生地で作られた、胸当てや肩ひもなどの付いたゆったりとしたズボン」である。リーヴァイスによって1873年にジーンズの原型として誕生し、1930年頃から女性や子供の遊び着にもなったのだ。最近はほとんど見かけなくなったけれども。

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ジーンズ中毒ヴィンテージCLUB

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2009年3月26日 (木)

誰でもバッタ屋になって稼げる!?

 自分の周囲には、バッタ屋を副業にしている知り合いがたくさんいます。その理由は、バッタ屋の仕事が実に単純で簡単だからです。ノウハウさえ知ってしまえば、誰にでも出来るものなのです。


 今、日本国内で一年につくられる外衣類<アウター>の総数は、約二十七億枚だそうです。これは日本人の一人が一年間で22枚の衣料品を買わないと、余ってしまう数量です。実際にどうなのかというと、半分以上が売れ残っています。売れ残ったものは全て焼却されるのです。


 「焼き捨ててしまうよりは、わずかでも金になった方がいい」というのが、小さいメーカーや縫製工場の考えです。その結果、バッタ屋等にとんでもない安値で売りさばきます。三十枚から五十枚の衣類が詰まった段ボール箱を、三千円から五千円で処分します。ということは、一枚が百円の計算になります。中に何が入っていても同じ値段なのです。2千円のものもあれば、1万円のものもあります。そうした衣料品を、誰でも二百円以下で仕入れることができるんです。


 定価が2千円から3万円程度の服を150円前後で仕入れます。それを五倍程度の価格で転売するのです。と言うことは、6千円が3万円、1万円が6万円、10万円が60万円になります。この方法で、自分も簡単に30万円を稼いだことが何度かあります。最近はインターネットがあるので、日本の何処に居ても、仕入れと転売が可能になりました。

 
 今回、そうしたバッタ屋の手法の中から、誰にでも可能な手口がマニュアルになりました。実際のバッタ屋の協力を得て完成させたノウハウなので、具体的に分かりやすく説明されています。ネットを使えば、すべての行程を在宅で行なうことも可能です。

■興味のある人は下記にアクセスしてみて下さい!


⇒⇒バッタ屋式ネット即金ビジネス


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2009年3月17日 (火)

パリのモデルの「スパゲティー・ダイエット」

 パリのモデル仲間たちの間で流行っているダイエットがある。「スパゲティー・ダイエット」というやつだ。モデルだけじゃなく、ヨーロッパの女性たちの間では定着している。スパゲティーを食べ続けて満足感を得る。そして肉や魚などのタンパク質を抑えることで総カロリー量を減らす。

 やり方はすごく簡単で、ゆでたスパゲティーに少しだけオリーブオイルをかける。そして塩と胡椒で味をつける。時々フルーツでビタミン類を補給して栄養のバランスを整える。そうした方法でパリのモデルたちの多くは、ダイエットに成功している。

 スパゲティーは、米やパンに比べてエネルギーに変わるスピードが早い。体に脂肪として残る前に、エネルギーとして消費されてしまう。そうした根拠と裏付けのある理にかなったダイエットなのだ。そしてドライフルーツと一緒にナッツを食べる。適度な油分を補うことで、肌の乾燥を防ぐのが目的だ。湿気の多い日本と違ってヨーロッパは空気が乾燥しているので、それも生活の知恵である。

 もう一つパリのモデルたちが心掛けていることは、必ず朝食をとるということだ。朝食をとらないと、起き立てに頭がスッキリしないからである。バナナやリンゴといった繊維の多いフルーツを、彼女たちは朝食として食べるそうである。そうした涙ぐましい努力をして、モデルたちは超スリムなボディーを維持しているのである。


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2009年3月14日 (土)

MAYAの「お水ファッション日記」NO.1

 初めまして!ナイトクラブで働いてるMAYAです。年齢は二十歳。血液型はAB。身長は160cm。出身地は京都。恋人は無し。好きな食べ物は吉野家の牛丼とマクドナルドのハンバーガー。趣味はショッピング。そんなところかな。

 ホステスの仕事をやってて楽しいのは、オシャレなパーティー・ドレスが着られることね。普段の生活じゃ、そんな服なんて着る機会がないもん。わたしの場合、ヒップとバストが大きめだから、けっこう似合うの。叶姉妹にゃ負けるけどさ。

 普段はジーンズ・ファッションがほとんどね。仕事でドレスアップするから、その反動みたい。ジーンズで好きなのはリーヴァイス。最近は日本のエビス・ジーンズも好きになったわ。自分で言うのもなんだけれど、わたしって足が長いから、ジーンズが似合うの。

 今のお店は墨田区の錦糸町にあるでしょ。錦糸町には、アパレル関係の会社や町工場が集まっててさ。だからアパレルメーカーや繊維関係のお客が多いのね。バッタ屋のお客も何人かいてさ、いつも服をプレゼントしてくれるんだ。この前なんか、服がいっぱい詰まった段ボール箱を店に持ってきたのよ。何が入ってるのかと思ったら、高級下着ばっかり。本当にびっくりしちゃったわ。

 マンションに箱を持って帰って、中の下着を全部ベッドの上に並べて驚いちゃった。どれにも値札がついてて、全部で十五万円もするのよ。その中で、自分が着られそうなものだけタンスにしまって、残りは箱に詰め込んじゃった。値札の3分の1くらいの値段で、仕事仲間の女の子に売ろうと思ってさ。ちょっと変態っぽい下着が多いから、売れるかどうか分かんないけどさ。スケスケやTバッグなんて、恥ずかしくて着られるわけないもんね。わたしは冷え性だから、普段はメンズみたいなボクサータイプのショーツをはいてるんだ。

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2009年3月 6日 (金)

華やかなファッション業界の意外な裏側

 華やかなファッション業界だけど、給料はけっして高くない。大手の三十代の中堅クラスでも、年収は六百万円弱だ。中小の企業となると、賃金はかなり低くなる。デザイナーの場合は、大手でも年収四百万円程度にしかならない。デザイナーの大半が契約社員なので、本社員に比べて賃金は低くなってしまう。

 アパレル会社に勤める唯一の特典は、自社製品の社内販売だろう。社員であれば家族も含めて会社の製品を、売値の半額以下で買える。中小の会社なら、自分の立場を悪用し、返品などの在庫を、好き勝手に手に入れられる。売れ残った服は、最後には焼き捨てられることになるので、会社の管理も厳しくない。それを手に入れてバッタ屋や地方の小売店に売りさばくのだ。

 アパレル業界の労働条件は厳しい。とにかく残業が多い。特にデザイナーやパタンナーは、季節物を扱うために、ピーク時は深夜の二時頃まで残業させられる。昼夜が逆転する時期が年に何度かある。時間にルーズなのが、アパレル業界の最大の欠点だといえる。営業の人間の場合は、自社商品を販売している店に、販売応援にかり出される。会社の仕事だけじゃなく、店で販売の手伝いもさせられるのだ。

 販売の応援に関しては、派遣会社に依頼することが多くなった。しかし、企画の場合はは自分達でやるしかない。ピーク時のデザイナーやパタンナーは、想像を絶する忙しさの中で、もくもくと自分たちの仕事をこなしている。営業にしても企画にしても、大半が二十代と三十代で、とても定年まで続けられる仕事じゃない。

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2009年3月 1日 (日)

Tシャツのデザインと企画を売ります!!

 「長年、Tシャツやトレーナーの図案を描いてきました。もちろん下請けの仕事ばかりです。そんな僕が、今年になって超売れ筋のオリジナル・デザインを完成しました。99%の確率でヒット商品になると確信しています。アパレル関係の方で、興味のある人は、トラックバックして下さい!絶対に損はさせません!」


■独学して自力で一流デザイナーになる方法

 アパレルのデザイナーにもいろんなタイプがある。専門的な学校で勉強し、有名ブランドに就職し、そして一流のデザイナーになっていくエリートタイプ。それとは違って、独学、自力で夢を掴む者もいる。好きこそものの上手、といった言葉が当てはまる人間たちだ。

 具体的にどういうことかといえば、何か一つのユニークで面白いデザインのイメージを持った人間が、それを自分の中で増幅させてデザインのエネルギーに変換させていく。例えそれがトレーナーやTシャツの図案でもかまわない。他のデザイナーとは違った独自の世界が表現できれば、それだけで商品価値が生まれ、やがてデザイナーとしての道も広がっていく。

 何かに固執することで、さらにイメージがふくらみ、それがオリジナリティーのあるデザインになっていく。例えばキャプテン・サンタで有名なボートハウス・クラブの社長のやり方がそれに近い。彼の出発点であり原点になっているのは、ボートや船である。それがやがてキャプテン・サンタの発想につながっていった。そして「サンタクロースの船長」というキャラクターを生み出したのだ。

 ヒステリック・グラマーも同じだと思う。「グラマーでヒステリックな女」というイメージのベースがあり、そこから出発してオリジナリティーのあるTシャツのデザインを作り出していった。やがてロンドンの若者の間でブレークし、日本でも人気ブランドの仲間入りを果たした。こしのミチコも「MICHIKO・LONDON」のTシャツのロゴでブランド・イメージを確立した。

 まず最初にオリジナリティーのあるデザインイメージを作り出すのである。どんな発想でもかまわないので、自分だけにしか無い世界を築くのだ。例えそれがキャラクターであってもかまわない。そこから出発して、ドンドンとアイデアを練っていけばよい。ベースになるデザイン・イメージがあれば、それをデザインアッブすることは、それほど難しくない。大きいメーカーに就職したエリートのデザイナーたちは、会社の企画の制限があり、逆に不自由なデザイン活動を余儀なくされる。自分のオリジナリティーを追求したくなったら、会社を辞めて独立するしかないのだ。

 出発はただのTシャツの図案であっても、それがヒットしてブランドに力がつけば、別のアイテムを増やすことができる。そうしてドンドンと手を広げ、ブランドを成長させていけばいい。最初はTシャツの図案しか描けなかった人間でも、ブランドの成長とともに、やがて立派なデザイナーに変身を遂げることになる。


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2009年2月21日 (土)

ゴスロリ・ファッションと新堂真弓

 先日、新堂真弓という声優でヴォーカリストで作詞家のことをテレビ番組で知った。名前と顔だけは知っていたけれど、彼女の正体については知識がなかった。フランスですごく人気があるらしい。そんな彼女のトレードマークは、ゴスロリというロリータ・ファッションだ。

 ゴスロリはゴシック&ロリータ・ファッションの略称である。ゴスロリとメイド服は混同されがちだが、全くの別物だ。フリルやレースをあしらった服と、ヘッドドレスを付けるスタイルが主流のロリータ・ファッション。パニエで膨らませた黒地に白レースのスカートと黒や白のブラウスを組み合わせるのが基本スタイル。ゴスロリの語源はエレガント・ゴシックロリータから来たとも言われている。

 ゴスロリはビジュアル系バンドのファンの間でのブームがきっかけとなって広まり、雑誌「KERA!」において2000年頃から使われるようになった言葉だそうだ。白一色で統一された「白ロリ」、ピンクや花柄を基調とした「甘ロリ」等もあるらしい。

 ゴシックというのは、ヨーロッパ中世の美術様式のことである。12世紀中頃の北フランスで流行し、世界各国に広まって発展、定着をした。ゴシックは中世ヨーロッパ全体を指し、古典(クラシック)、退廃(デカダンス)を意味する。

 歌って踊れてトークもできる存在として新堂真弓は、ファンの心をしっかり掴んでいる。「NOLIFE!!」で世界進出も果たし、今や西はフランスから東は日本まで世界を股にかけて活躍するアーティストになった。2007年には音楽プロデューサとして、そして2008年には美少女ゲームプロデューサとしても活動を開始。知る人ぞ知るマルチタレントなのだそうだ。

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2009年2月15日 (日)

高級ブランドがある限り、コピー品は作られる?

 昔の話になるけれど、知人がシャネルのアクセサリーのコピー品を軽井沢の店で販売したことがあった。客寄せの為に仕方なく店に置いたのだ。狙い通りに女性客が集まった。本物は買えない若い女性客が、コピー品と知りながら、嬉々として購入していった。そうした彼女たちの口コミで、やがて知人の店には、シャネルのコピー品を買い求める客たちが押しかけるようになった。結果として、長野県警の防犯課に目をつけられ、罰金刑を言い渡されてしまった。

 少しでも多くの客が来店してくれればいい、と言った安易な考えで、知人はコピー品に手を出した。そんなに売れるとは思いもしなかったのだ。そこに大きな誤算があった。シャネルのアクセサリーのデザインは人気がある。本物は高過ぎるので、安いコピー品は、若い女性客にそれなりのニーズがあるのだ。

 先日、韓国のソウルで、エビス・ジーンズのコピー品騒動があった。エビス・ジーンズの側は、裁判沙汰にして決着をつけることにしたらしい。そうしたテレビ報道を見た時、ジーンズ・マニアとしては悪い気がしなかった。エビス・ジーンズもコピーをされるようになったのだから。コピー品が売れるということは、本物に価値があるからだ。韓国の若者たちは、コピー品と知っていて購入したに違いない。エビス・ジーンズはヨーロッパで人気と知名度がある。人気サッカー選手が着たことで、一躍世界的な知名度を得たのだ。

 最近、若い女性の間で、レンタル・バッグ屋が注目されているらしい。月額1万数千円で契約すれば、毎日違うブランドのバッグを借りられるのだ。日替わりで高級ブランドのバッグを持てるのだから、それなりにニーズがあると思う。不景気になればなるほど、需要は拡大していくに違いない。レンタルであっても、やっぱり本物の方がいいに決まっているもの。

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2009年2月12日 (木)

アメカジに飽きたニューヨーカーが選んだ服

 デザイナー・トムブラウンの成功によって、一気にNYファッションが活気づいた。そしてアメリカン・トラッドが世界的なムーブメントとなった。長い間、ヨーロピアンが主流だったメンズ・ファッション界に、やっとのことでアメトラブームが到来したのだ。現在のNYでは、トムに続く新しいデザイナーが次々と出現している。そうした実力を備えた若手の台頭によって、アメトラ人気が本格的にブレークし始めた。

 日本でも最近になって新しいアメトラが定着した。メンズだけじゃなく、レディースにもアメトラやプレッピーのアイテムが見られるようになった。日本で古いアメトラが流行したのは60年代後半のことになる。東京の青山にあったVANという日本のブランドが、ブームを引き起こした立役者だった。当時はアメトラじゃなくて、トラディショナルとかトラッドと呼ばれていたのだ。

 70年代半ばになると、新しいトラッドという意味の「ニュートラ」が日本でトレンドになった。呼び名は「ニュートラ」でも、それまでのトラッドとはまったく違ったスタイルだった。ゴルフ・ウェアーみたいなスラックス・パンツとポロシャツのコーディネ―トだったのだ。どうして「ニュートラ」という名前になったのか、理由は不明である。80年代にヨーロピアンが主流になるまでの、一時的な橋渡しみたいな役割をして、すぐに「ニュートラ」は消えてしまった。どちらかと言えばオヤジっぽいファッションなので、若い人には受け入れられなかったのだ。

 着心地がいいだけの西海岸発のアメカジに飽き飽きしていたニューヨーカーたち。そうしたニーズに後押しされて出現したのが、トムブラウンだった。過激なまでに体にフィットするジャケットや裾の短いスリムなズボン。それはスーツを普段着として着ていた50年代後半の男たちの服そのものだった。それにヨーロピアンなものと今風なデザインを付け加えて、彼は新しいアメトラを完成させたのである。

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2009年2月 9日 (月)

年間27億着を製造する日本アパレル業界

 最近、デパートの衣類が売れなくなってしまった。景気が悪い所為もあるが、バイヤーの責任も多少あると思う。ブランドものや高級品を買う時は、昔ならデパートへ足を運んだものだが、最近はアウトレット・モールやセレクト・ショップに出かける人が多い。デパートと違って、値段が安くて品揃えが豊富だからである。デパートのブランド品売場は、昔ながらの殿様商売で、値段にしても品揃えにしても客の細かいニーズに対応していない。売れなくて当たり前なのだ。

 現在、日本国内で一年につくられる外衣類<アウター>の総数は、約二十七億枚だそうだ。これは日本人の一人が一年間に20ちょっとの衣料品を買わないと、余ってしまう数量である。実際にどうなのかというと、父親世代が8枚、母親世代が10枚、学生世代が22枚を平均的に買っているらしい。

 ということは、半分以上が売れ残ってしまう計算になる。そのことによって、二つの大きな問題が起きる。①残ったものは焼却される。その際に発生するダイオキシンは環境問題になっている。②残ったものを裏ルートでバッタ価格で安く処分する。その場合はスーツが百円の値段になることもある。これは正規の値段で購入した消費者に対する裏切り行為になり、繊維業界への消費者の不信を招くことになりかねない。

 「焼き捨ててしまうよりは、わずかでも金になった方がいい」というのが、生産者側の言い分だ。「少しでも現金収入になった方がましだ」といった気持ちで、投げ売りをしてしまう。三十枚から五十枚の衣類が詰まった段ボール箱を、三千円から五千円でバッタ屋に処分する。ということは、一枚が百円弱になる計算だ。中に何が入っていても同じ値段である。早い話が、売れ残った衣料品は、ゴミと同然なのだ。ゴミを処分するためには、逆にお金を払わなければならない。いつまでも倉庫に積んでおけないので、末端のメーカーや縫製屋は、止むを得ずに最悪の決断をしてしまう。

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2009年2月 5日 (木)

デザインと高品質を売りにする国産の洋服

 長い間、アパレル関係の仕事をしていると、たいていの服の原価が推測できるようになる。一番簡単な方法は、定価に35%から45%を掛けた額を計算すればいい。詳しく調べる場合は、生地、縫製、裁断、加工、付属等の工賃や価格を割り出し、それを全部プラスするのだ。もっと正確な数字を出す場合は、服の数量と生産地も調べなければならない。

 日本国内でも、生産地によって加工賃が大きく違ってくる。刺繍代や縫製代なんかは、関東地方に比べると、関西の奈良や和歌山は極端に安い。ほとんど半額に近い工賃だ。奈良と和歌山の県境には、靴下の縫製工場がたくさんあるからだろう。靴下の縫製代の安さが、服の縫製代や刺繍代にも大きく影響している。奈良や和歌山の工賃が安いので、隣の大阪の工賃も自然と安くなってしまう。それに比べてプリント代は、全国的に平均化されているような気がする。

 衣類の場合、価格が高ければ品質が良いのは当然のことである。一方で、そんなに高くないのに、そこそこの品質のものだってある。いったい価格はどうして決まるのだろう?!

 価格に影響を与える最大のものは、ロットと言われる数量である。たくさん作れば安くなるし、数が少なくなれば逆に高くなる。日本のアパレルメーカーの最少のロットは二百着程度だ。それより少なくなると、採算がとれなくなってしまう。平均的に三百から八百着程度を国内で製造し、そして高めの価格を設定する。

 ロットの少ない商品は、希少価値とデザイン料とブランドイメージと高品質を売り物にして値段を高く設定する。有名ブランドの商品が高いのは、そうした理由からである。その代わり、同じ服を着た人間と偶然にすれ違うようなことはないので、安心して着られる。

 最近の安い衣料品の大半が中国製である。おそらく万の単位で大量に製造しているのだろう。服の場合は、安ければそれだけで売れるものじゃない。高いものには高いなりの価値があることを消費者は理解している。特に有名ブランドは、高くても品質の良いものを作っている。値段の高い分は、デザインと高品質でカバーして、消費者を納得させることが出来るからだ。

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2009年1月31日 (土)

モーニング娘だった?倖田來未の下積み時代

 京都市の南端に伏見区がある。伏見といえば日本酒の酒工場と伏見稲荷で有名な場所だ。違う言い方をすれば、他には何も無い京都市の田舎町である。ところが、最近になって、京阪電車の藤森駅のそばにある藤森中学校が、俄然注目を浴びるようになった。二人のビッグな卒業生のお蔭である。倖田來未と鈴木エミの出身校ということで、全国的にも知られるようになった。

 ということは、二人は僕の後輩になるということだ。昔の藤森中学校しか知らない僕にとっては、いまだに信じられないことである。なんのとりえもない伏見の田舎中学に、あんなメジャーでビッグな人間が二人も同時に出現するなんて・・・・前代未聞、青天のヘキレキ、トンビが鷹を産む、掃き溜めに鶴・・・本当に夢見たいな話だ。

<鈴木 えみ>
1985年9月13日生まれAB型。女性ファッションモデル・女優。スターダストプロモーション所属。京都市立藤森中学校出身・京都両洋高等学校中退。 1999年、中学2年の夏に友人の薦めで「ミスセブンティーンオーディション」を受けて合格。

<倖田來未>
DREAMS COME TRUEのライブビデオを観て、歌手に憧れ芸能界入りを志した。1999年、京都精華女子高等学校在学中にテレビ東京で放送していたオーディション番組『ASAYAN』内の「モーニング娘追加メンバーオーディション」で2次審査を通過した。それより先行して行われたエイベックス主催のオーディション「avex dream 2000」にて準グランプリを受賞。これにより同社でレッスンやトレーニングを無償受講できる権利、同社との専属契約権を獲得した。

 2000年12月、エイベックスのレーベルよりデビューが決定。日本より先にアメリカで「KODA」の名前でデビューし、1枚目のシングル「TAKE BACK」は、全米ビルボードダンスポップセールスチャートで初登場20位、最高18位を記録。2枚目のシングル「Trust Your Love」がビルボード総合セールスチャート初登場39位、最高19位を記録した。またダンスポップセールスチャートでは初登場1位を獲得した。

 そんな倖田來未 だが、2000年から2002年 はヒットの出ない下積み時代が続いた。華々しく「凱旋デビュー」を飾る予定だったのに、その目論見は見事に外れた。3枚目のシングル「COLOR OF SOUL」、4枚目のシングル「So Into You」でも、高い歌唱力と定評のあるダンス力で着実にファンを増やしたものの、ヒットにはならなかった。当時は音楽番組に出演しない路線をとっており、夜中にクラブなどで歌っていた。彼女はその時を振り返り「辛かったけど深夜まで歌ったりして、声帯が強くなり、度胸もついた。下積み時代に感謝している」と語っている。

 そんな彼女に転機が訪れた。2003年にスクウェアから発売されたプレイステーション2用ゲームソフトのテーマ曲「real Emotion/1000の言葉」がオリコンチャート初登場3位で23万枚のヒットとなって知名度が急上昇した。元来太りやすい体質で、8kgのダイエットに成功したのはこの頃だ。その後「エロかっこいい」とマスコミから呼ばれる彼女のスタイルが確立された。この頃から海外アーティストの大きな影響を受けるようになり、露出度の高い服装やPVなどがマスメディアによって大きく話題にされたのだ。そして2004年、『キューティーハニー』の主題歌「キューティーハニー」を収録した11枚目のシングル「LOVE&HONEY」が久々のオリコンチャート初登場4位を記録し、現在の知名度と人気を得た。


 

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2009年1月24日 (土)

「愛読御礼!」矢沢永吉&質流れブランド品

 以前にラジオの番組で、矢沢永吉がデビュー前の思い出話をしていた。当時のキャロルが有名になる前のことだから、ずい分と昔の話になる。永ちゃんが二十歳を過ぎたばかりだから、本当に古い話だ。お金がなくなると、ステレオ・カセットテープレコーダーを近所の質屋へ持っていったらしい。当時のカセットテープレコーダーは、最近のCDのものと比べると信じられないくらい大きかった。それなりに値打ちがあったのだろう。横浜中華街の近くの質店だったらしい。永ちゃんにも、そうしたハングリーな時代があったのだ。

 以前、質流れのブランドリセール市が大阪心斎橋で開催された。1日平均二万五千人の客が会場へ集結した。全国から集まった質流れのブランド品を目指して、会場内は女性客で大にぎわいだった。会場内の熱気によってオバチャンたちの厚化粧が、大汗をかいて流れ落ちてしまうほどの大混乱だ。

 びっくりしたのは、ピンキー&ダイアンの黒いハンドバッグが、たったの千五百円で売られていたことだ。他にもエルメス、シャネル、ヴィトン等のバッグや貴金属類が山積みになっていた。値切ればドンドン値段が下がるので、誰もが必死で値段交渉していた。

 質流れといっても、未使用のものが含まれている。いったいどんな人間が、どんな理由で未使用のブランドものを質屋に持ち込むのだろうか?いつも疑問に思っていた。その謎が最近になって解けたのである。片思いの女性に高価なブランドものをプレゼントした男性が、相手の女性から拒否されることが多いらしい。女性からつき返されたブランド品を、仕方なく質屋に持ち込んで損失の穴埋めをする男性がたくさんいるそうだ。それを知って納得した。大切なブランド品を女性たちが質屋でお金に替えるはずがない。まったくバカな男たちがいるものだ。質入れなんかせずに、本命の恋人が現れるまで保管すればいいのにね。

 

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2009年1月16日 (金)

恋愛もファッション・トレンドも3年で終わる?!

 先日のNHKの番組で、男女の恋愛観の違いを分析して特集していた。要約すると、男は視覚で恋愛をし、女は記憶の積み重ねで恋愛をするそうだ。そうした違いは、人類が猿人から進化して地球上に生存するようになってから続いているらしい。現代社会のような戸籍も無く、夫婦といった概念もなかった人間が、地球上の厳しい生存競走に生き抜くために身につけたものなのだ。

 通常、恋愛感情は三年間で冷めてしまうものらしい。「愛は憎悪の始まり」「惚れた腫れたは当座の内」「アバタもえくぼ」といったコトワザもあるように。視覚で恋をする男と、記憶で恋をする女との恋愛観の違いが、トラブルの元になって、やがてすれ違いを生じさせるそうだ。

 男性が視覚で恋をするということは、女性の外見を好きになるということだ。外見といっても顔だけじゃない。猿人だった人類の祖先は、現代と違って裸で暮らしていた。顔は誰もが猿に似たようなものだった。そうした場合の外見とは、体型やプロポーションのことである。

 男性が好む女性の体型についても、番組内で説明していた。理想的な体型は、ウエストと腰周りの比率が7対10だそうだ。もちろんウエストが7で、ヒップが10である。その数字は出産と関係があるらしい。猿人の時に女が子供を産めるようになると、自然とそうした体型になったのだ。そうした体型を現代の男たちも好んでいることになる。

 確かにその通りだと思う。女性のプロポーションに、すごく魅力を感じる時がある。スタイル抜群の若い女性のジーンズ姿は、本当に恰好いいと思う。シンプルだけれど、どんなハイ・ファッションよりも魅力を感じる。まさにシンプル・ビューティーというやつだ。プロポーションで着こなすジーンズ姿は、下手に着飾るよりも魅力的な時がある。

 三年間で冷めてしまうのは恋愛感情だけじゃなく、ファッション・トレンドも同じである。やっぱり三年間で飽きてしまう傾向がある。昔は10年サイクルだったけれど、最近は3年サイクルと短くなった。もしかしたら、本当に新しいトレンドというものが、存在しなくなったのかもしれない。過去のトレンドを現代風にアレンジして、単に復活させているだけじゃないだろうか。そんな中で、プロポーションで着こなすジーンズ・ファッションだけは、流行に関係なく永遠に続くものだと思う。

 
 ダイエットしたい女性にお勧めのブログです!

    ■美・ダイエット専科
 

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2009年1月11日 (日)

スタイリストで決まるタレントのセンス

 知人のスタイリストから聞いた話である。フジテレビの看板番組の「笑っていいとも」が、毎年、年末に都内のホテルの大宴会場で打ち上げパーティーを催す。今回のパーティーには300人程度の関係者が出席して、大々的に開催されたらしい。関係者というのは、タモリを筆頭にしたレギュラー出演者、スタッフ、スタジオ内の裏方、フジテレビの社員のことである。

 パーティーのハイライトは、最後に行なわれる大抽選会だ。数万円から数十万円のものが、大盤振る舞いされるそうだ。タモリ賞というのが1等賞になる。そのタモリ賞に当たったのが、女性のスタイリストだった。タモリ賞を受け取るためにステージに上がったスタイリストは、酒を飲みすぎてコメントすることが出来ずに「ウェーイ!」と叫んでタモリ賞を受け取ったらしい。

 「笑っていいとも」の場合、レギュラー出演者全員に個別のスタイリストがついているらしい。タモリにも専属のスタイリストがいることになる。タモリを担当するスタイリストは、本当に大変だと思う。60才を過ぎたお笑いタレントの服を、毎日コーディネートするんだから。派手にならず、かといって地味になっても困る。

 歌手のステージ衣装も、全部スタイリストがコーディネートしている。ということは、担当のスタイリストによって、歌手のセンスの良し悪しが決まることになる。スタイリストにもピンからキリまである。超一流もいれば、三流のスタイリストも存在する。いつもセンス抜群の歌手は、担当のスタイリストのセンスが良いことになる。

 スタイリストの場合、ファッション・センスが良いだけじゃ仕事にならない。担当する歌手やタレントの本質を見極める力量が必要になってくる。どんなにトレンドでハイセンスな服でも、担当した歌手に似合っていなければ、コーディネートに失敗したことになる。ミスマッチというやつだ。そういう意味で、SMAPのスタイリストはセンスがいいと思う。どんな番組でもソツのない仕事をしている。それだけスタイリストのレベルもギャラも高いのだろうが。


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2009年1月 1日 (木)

水谷豊の紅白60年代ファッションはグー!

 レコード大賞と紅白を見ていて、まったく同じことを感じた。若いミュージシャンのファッションは、確かに今っぽくてセンスがいい。だけど、あまりにもトレンド過ぎて、僕の心には何も伝わってこない。どいつもこいつも、顔よりもファッションの方が目立っている。服を着ているんじゃなくて、服に着せられているって奴ばかりだ。人間よりも、服の方が目立つのである。歌番組じゃなくて、自己満足な出来の悪いファッション・ショー見ているみたいだった。

 紅白を見るのに飽きて眠くなった僕をエキサイトさせたのは、チンピラ・ファッションの水谷豊だった。ワインレッドの古いアメトラのスーツに、50年代風のシルクタッチの黒い大きな襟のシャツ。これぞ水谷の真骨頂であるチンピラ・ファッションだ。歌うのは「カリフォルニア・コネクション」テレビのボリュームを上げて、思わず僕も一緒に口ずさんだ。レコ大の時も、黒のレザーのスーツに、黒っぽいシャツとウエスタン風のベルト姿で、「カリフォルニア・コネクション」を歌っていた。

 「相棒」で再ブレークした水谷が、60年代のワルのファッションも復活させてくれた。50年代のロカビリーと60年代のアイビーが混ざったスタイルが、当時のチンピラ・ファッションの一つだった。60年代の大阪の元祖ヤンキーたちはロカビリー調で、他の地域のワルたちは、水谷のようなチンピラ・ファッションを着ていた。オヤジになった水谷だけれど、若い時のイメージそのままで、見事にチンピラ・ファッションを着こなしていた。

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2008年12月25日 (木)

買いたての服を枕元に置いて寝た時のように

 たくさん服を持っている人間がオシャレなんじゃない。自分に似合う服をどれだけ持っているかの方が、重要なんだと思う。好きな服が少ししかなければ、持っている服も少なくなる。本当に好きな服って、そうは多くないと思う。特にメンズの場合、アイテムや色数が少ないので、気に入った服を見つけるのは難しい。

 若い人の場合は、気に入った服を衝動買いして、服を無理やり自分に合わせることが出来る。人間としての個性やキャラクターが出来上がっていないからだ。ファッションが目立てばそれでいいのだ。ファッションをガラリと替えてしまえば、人間性やイメージも全然違って見える。その時の気分で、好き勝手にオシャレが出来るのが、若さの特権だ。

 二十代も後半になってくると、かなり個性やキャラが確立されてくる。そうなってくると、自分に似合う服も限定されてくるし、自分の好みや好きなブランドも限られてくる。悪く言えばパターン化してしまうのだ。服を買いに行っても、好みでない服やブランドは最初から目に入らなくなる。自分に似合う服とそうでない服が頭にインプットされているからである。

 自分の好きな服が、必ずしも似合う服ということにはならない。それがオシャレの難しさだ。自分を客観視できない人間ほど、そうした傾向が強い。まずは自分のことを知り尽くして、それからオシャレをしてほしい。例えば僕の場合なら、自分が阿部寛や石井竜也だったら、こんな格好をするのに・・・と思うことがある。しかし、現実はそうじゃない。自分の顔や体型を知っているから、それに合った服を着るしかない。平凡な中年の男に似合う服でオシャレな服となると、本当に限られてくる。それでもオシャレは楽しいものだ。数少ない服の中から自分に似合うものを見つけた時は、少年みたいに心が弾む。昔、買いたての服を枕元に置いて寝た時のように。

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2008年12月22日 (月)

トレンドだけを追いかけるのは三流ブランド!

 とにかく現代は、全ての面においてスピードが要求される。インターネットの普及により、そのスピードが一気に加速した。90年代を境にアナログ社会からデジタル社会に変化し、ファッション・トレンドの寿命も極端に短くなった。昔の流行は5年から10年くらい続いたけれど、今では3年も続けば長い方である。場合によっては、1年で色あせてしまうトレンドもある。

 新しいトレンドが登場すると、時代の波に乗せられて多くの人間が手を出してしまう。その時に、一番オシャレに見えるのがトレンドだから、購買意欲を刺激されて思わず買ってしまうのだ。すぐにそれが流行後れになることなど、まったく考えもしないで。その結果、次のトレンドが登場すると、すべてがタンスの肥やしになってしまうことになる。

 最近のトレンドの寿命を短くしているのは、トレンドカラーのめまぐるしい変化にある。毎年、トレンドカラーが変わってしまうからだ。特にレディースの場合、その傾向が顕著である。ビビットなイエローやオレンジから、今度はピンクがトレンドカラーになるらしい。ファッション・アイテムそのものに大きな変化はないのだが、トレンドカラーが変わってしまうのだから困ったものだ。ピンクが流行色になったら、イエローやオレンジの服は、あっという間に流行後れになってしまうからである。

 トレンドばかりを追いかけているブランドは、はっきり言って三流である。そうしなければ、服が売れないからだ。ポリシーとオリジナリティーのある有名ブランドは、けっしてそんな安易な販売戦略をとらない。オリジナリティーとデザイン力で勝負ができるからだ。大切に扱えば、それこそ10年でも20年でも着続けられる。一時的なトレンドを追いかけていないから、いつまで経っても飽きることがない。若かった二十代の時も、中年になった40代でも、けっして違和感なく着続けられるのだ。安物買いの銭失い、という言葉がある。目先のトレンドを追いかけて三流ブランドの服を二着買うよりも、オリジナリティーのある有名ブランドの服を一着買った方が賢明なのである。

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2008年12月12日 (金)

オシャレと変人は紙一重

 ファッションは楽しくてエキサイティングなものであるが、その半面で難しくてやっかいなものでもある。ごく普通の人間が、タレント等の特殊な人間の真似をして、ハイファッションを取り入れたらどうなるか。周囲の人間からキワモノ扱いされるのがオチである。テレビに出演している連中のファッションは、仕事の衣装であって普段着じゃない。たいていの場合、スタイリストが服を選んでいる。センスが良いのは当然のことで、テレビの中だからこそカッコウよく見えるのである。

 多くの一般人のお洒落に対する意識というものは、自分らしいと思える範囲で目立ちたいのである。けっして変人とは思われたくない。お洒落と変人は紙一重ということを常に意識しているはずだ。社会的に受け入れられる程度にお洒落をしたいのである。社会の常識を理解している人間ほど、その傾向は強くなる。

 そうした連中の望んでいるファッションは、ファッショナブルだけれど、誰でも着られる服なのである。お洒落に見えると同時に、安心感もほしいのだ。周囲から馬鹿にされない程度にファッショナブルでいたいと思っている。やり過ぎない程度にトレンドを取り入れたいのだ。一方で自分のファッション・センスを思い切りアピールしたい、という気持ちが根底にあるのも事実に違いない。

 そんな連中にとってありがたいのは、GAPやH&Mといった量販店ブランドの服である。周囲から変人扱いされない程度にお洒落な服が豊富に揃っているからだ。そうしたブランドの服でコーディネートすれば、絶対に失敗することはない。センスのいい着こなしをすれば、すごくファッショナブルに見えることもある。H&Mの一号店のオープンに大勢の客が押し寄せたのは、手頃な値段ということだけじゃなく、失敗の無いお洒落ができるといった安心感があったからじゃないだろうか。

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2008年12月10日 (水)

高級ブランド服の原価の秘密

 服の値段ほどいい加減なものはない。値段が高ければ高いほど高級品だと、誰もが信じ込んでいる。有名ブランドの高額商品の値段と、製造原価は必ずしも比例しないのだ。安物と中間の量販店ものと高級品の三段階のレベルがあるとしたら、製造原価では中間のものと大差がない。ブランドとデザイナーに対して余計なお金を払っているだけなのだ。

 服の値段は製造数で決まってしまう。Tシャツを例にして説明すれば分かりやすい。Tシャツのボディーが100円だったとする。それに三色のプリント加工をしたらどうなるか。プリント代は一色につき100円かかるので、三色だと300円になる。それにプリントの型代が必要になる。型代は一色につき1万円なので、三色プリントの型代は3万円。1着を製造した場合、ボディー代が100円、型代は3万円、プリント代は300円で、合計3万400円が製造原価になる。しかし1万着を製造した場合は製造原価はたったの403円で済む。中間の量販店のGAPやH&Mやユニクロが安いのは、大量生産するからである。

 有名ブランドの高額商品には、ブランドの多額な広告費とデザイン料と会社の経費がプラスされる。服の値段が高くなるのは当たり前のことだ。製造原価が200円程度のアルマーニ・エクスチェンジのTシャツが、驚くことに1万円で売られている。これは紛れも無い事実なのだ。アルマーニというブランド名を、とんでもない高い値段で買わされていることを知ってほしい。

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2008年12月 6日 (土)

ファッション・タウン原宿の裏話

 東京の原宿、青山のエリアには、昔からアパレルの会社が集まっている。現在、中小のアパレルがしのぎを削っている激戦区は、ファッション・タウン東京・原宿である。年商20億円前後の小さいアパレル会社が林立している。年商20億円といっても、1ヵ月の売上は2億円弱で、純利益は1千万円前後だろう。そこから社員の給与が支払われることになるのだ。社員の構成は、パタンナー、工場管理の製造スタッフ、営業、そしてトレンドを先取りできる若いデザイナーを入れて十名前後である。70年代に原宿でブレークしたマンションメーカーと似たようなものだ。

 大手にできない少ない生産数で、逆に型数は年間で五百を越えるケースが多い。一週間ごとに店頭投入と追加を繰り返して客の消費に対応している。そうしなければ原宿では勝ち抜けない。それだけ工場管理が大変になってくる。どのアパレル会社も、独特のデザイン性と小回りをきかし、なんとか客のニーズに対応しているのだ。デザインだけで勝負できないのが原宿の現実だから仕方がない。

 そうした原宿の表通りに対して、最近何かと注目を集めているのが裏原宿である。中でもストリート系デザイナーのショップに人気が集中している。昼前の開店を待って、朝早くから客が列を作っている店がある。圧倒的に男子高校生が多い。これまでにも多くの小さいアパレル会社が、こうしてネームバリューと実力をつけて大きくなっていった。いまだに記憶に新しいのは70年代末のボートハウスで、竹下通りの店頭には発泡プリントのトレーナーを買い求める客の長い列ができたものだ。それをきっかけにしてボートハウスは大きくなったのだ。

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2008年12月 5日 (金)

ファッション・トレンドが変化する時

 「エゴイスト」「ココルル」「カパルア」は、渋谷109を原点にして成長し、09ファッションとまで呼ばれるようになったヤング向けのセクシー・カジュアルショップだ。「世界のファッションのリーダーは今や日本になってしまった」と、東京に足を運んだ外国人バイヤーやファッション関係者の誰もが絶賛した。渋谷を中心にした原宿、青山、代官山のエリアは、ヤングファッションの世界的な情報源として世界中から注目されるようになったのだ。

 エゴイストの成功は、「こんな服を着てみたい」「こんな恰好がしたい」といった若い女性の欲求を先取りし、失敗を恐れずに商品化した。価格の面でもヤングに買いやすくした。そのために韓国の東大門市場を活用して生産加工したのである。他の多くのアパレル会社では、そうしたエゴイストの成功を知りながらも、システム面の問題で真似ができなかった。2000年一月期の渋谷109の全館売上は、前年比の17%増の220億円で、これは景気の良かったバブル時代よりも高い数字である。

 そんな109の売上も、2000年の四月期から失速を始めた。09ファッションがトレンドでなくなってしまったのである。ガングロを生み出した109のセクシー系は飽きられてしまい、トレンドが変わってしまった。ファッションが変化したのだ。こうなると09ファッションにとっては、最悪の事態である。少し過激なファッションだけに、失速するのも早かった。常に新しいトレンドを用意しないと、客は商品を買ってくれない。そうしたファッション・ビジネスの難しさに直面し、以前のようなパワーを持続することができなくなった。そして新しいトレンドの波にのみこまれてしまったのだ。


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2008年12月 4日 (木)

GAPとH&Mの共通点

 サンフランシスコに住むドナルドとドリスのフィッシャー夫妻が1969年に創立したGAP。初めは小さい店だったが、やがてバナナ・リパブリック、オールド・ネイビーといったブランドを抱える世界最大のアパレル小売会社になった。今では世界中にチェーン店が存在している。パリにもイギリスにも日本にも。ニューヨークには35店舗もあるらしい。

 GAPの服のセールスポイントは、デザインがさりげなくてGAPと気付かれない点だと思う。日本人には高級感を抱かせるGAPだけれど、本場のアメリカでは大衆的なイメージがあるらしい。ファーストフードのマクドナルド的な存在なのだ。世界中のどの店でも同じ服を買うことができるし、価格もお手頃である。

 そんなGAPと東西の横綱争いをしているのが、先日東京にオープンしたH&Mだろう。没個性の標準化したオフィス向きのスーツ、ドレス、ブラウス、スラックス、フード付きパーカー、鋲付きベルト等をお手頃価格で販売している。GAPとは同じアイテムこそないものの、手頃で豊富な品揃えといった点は本質的に似ている。どちらの店でも1万数千円程度の買い物で、ファッションに対する日頃の要求不満を瞬時に癒してくれるのだ。今回の東京の出店を足がかりにして、H&Mも全国展開するのは間違いないだろう。GAPとH&Mが、やがて日本中に店を出して、日本のユニクロと張り合う日がやって来るに違いない。

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2008年12月 2日 (火)

真央も着ている新大人服「ネオ・ニュートラ」

 大人っぽくなった最近の浅田真央は、ニュートラ系が似合うようになった。以前にF雑誌「JJ」がニュートラの名で継続的に取り上げたファッションは、神戸元町等のブティックで販売されている高級輸入ブランドのドレスやバッグ等だ。芦屋などの裕福な家庭の主婦やお嬢様たちにとっては、ごく日常的なファッションである。

 ディオール、カルダン、サンローラン、ニナリッチ、クレージュ、ウンガロ、ヴィトン、グッチ、セリーヌとぃったヨーロッパのブランドに「JJ」はスポットをあててきた。そして二十代後半のキャリア・ウーマンをターゲットにしたニュートラ路線で読者層を広げたそうである。

 2000年になると、ニュートラの子供たちの世代がそれを受け継ぎ、そして新しいニュートラが生まれたのだ。エレガンス系の「新大人服」と呼ばれるようになったネオ・ニュートラは、最初は名古屋で火が点いた。そして神戸から関西に飛び火して東京に上がっていったのだ。

 名古屋でのきっかけを作ったのは、87年に誕生した東京ブラウスの「クレイサス」であった。金城学院等の名門三大お嬢様大学の学生が「クレイサス」の上質でエレガンス系のスーツやワンピースに殺到したのだ。他にもクイーンズコート、Mプルミエル、ビッキーなどのエレガンス系を身に付けた学生たちは、同じテイストのルイ・ヴィトン、シャネル、エルメスといったバッグを持ち、靴もフェラガモなどの高級なものを買い求めた。

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2008年11月29日 (土)

お気に入りは,KENZO,GAP,無印

 最近、「ファッション中毒」のアクセスが急増した。その原因は、ファッション関係のブログの情報サイトが、上位に表示してくれたからだ。人気では300位前後だったが、内容は★★★★★だった。それを知って俄然やる気になった。内容が五つ星っていうのが最高だもん。現在までの総アクセス数は、9万弱になりました。もうすぐ10万の大台になります。ご訪問して頂きまして、本当にありがとうございます!

 長いこと生きていると、衣類の整理が大変だ。どうしても捨てられない服がイッパイあるからね。靴なんかは、底が減ってしまえば捨てられるけれど。残してある服には、どれにも思い出がある。その服を捨ててしまえば、同時に思い出も消えてしまうような気がする。オヤジになってしまうと、今より若い時の思い出って、どれも財産みたいになってしまうんだ。お金の貯金が無い代わりに、たくさんの思い出が心の財産になっている。だから捨てられないんだろうね。

 たくさんの服を持っているんだけど、実際に身につけるのは毎年同じものになってしまう。シーズンごとに、お決まりのお気に入りの服を選んでしまう傾向がある。自分が一番オシャレに見える服をタンスから取り出して、いつもそれを着ることになる。例えばセーターの場合、KENZOの中南米っぽい織物柄のオレンジ色のVネック。GAPのモスグリーンの横ストライプのVネック。有名ブランドの服は生地も縫製もしっかりしていて長持ちするね。何より、デザインがいいから飽きないんだな。

 お金に不自由するけれど、食べるものと着るものには不自由しない、というのが僕の人生運なんだわ。まさにそのとおりの人生になってしまった。だけど、いつもブランドの服を着ていると、リッチに見えるらしいね。財布の中身は他人に見えないから。「いい服を着てるじゃない」って言われて悪い気はしない。上半身をブランドものでまとめれば、無印良品の安いチノパンツをはいていても、高級品に見えるから面白い。ファッションはいろんな意味で人の目を欺くことなんだ。その最たるものが、キャバクラ嬢のファッション。みんなも素顔とハートを隠して、思い切りオシャレを楽しんでちょうだい!

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2008年11月27日 (木)

元祖アメカジ?水谷豊チンピラファッション

 水谷 豊は1952年7月14日 生まれ。北海道空知郡芦別町(現・芦別市)出身の日本の俳優・歌手。身長168cm体重60kg、血液型はA型。1974年10月、日本テレビのドラマ『傷だらけの天使』に出演。主演の萩原健一に対しての「兄貴ぃー!」と呼び掛けるセリフをトンネルズらがモノマネしたことから1980年代の若者にも知られる演技となった。

 当時の水谷のチンピラ・ファッションは、元祖アメカジだと言えるんじゃないだろうか。元祖ヤンキーのファッションが50年代とすれば、水谷のチンピラ・ファッションは70年代のファッションスタイルだった。まさにストリート系の原点だったと言える。萩原健一の子分役だった水谷は、白い無地Tシャツの上にスイングトップや派手なスタジャン等をルーズに着こなしていた。そして腰を低くして、だらしなく「兄貴ぃー!」を連発して笑わせたのだ。そんな当時のチンピラ・ファッションも、30年後には、ストリート系のルーズ・ファッションというスタイルの一つになってしまった。誰もが何の抵抗も無く、当時のチンピラ・ファッションを着ていることになる。


 1977年には、『はーばーらいと』で歌手デビュー。『表参道軟派ストリート』や『カリフォルニア・コネクション』をヒットさせた。『カリフォルニア・コネクション』を歌う水谷のイメージは、まさにアメカジそのものだったと言える。歌そのものよりも、そうした彼のキャラクターが歌をヒットさせたのだ。そんな昔のヒット曲を収録したアルバムが、「相棒」の人気に乗じて、最近のアルバムチャートで上位にノミネートされたらしい。ジクザグ坂道・・・・♪と水谷の真似をして思わず『カリフォルニア・コネクション』を口ずさんでしまう今日この頃です。


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2008年11月26日 (水)

エビス・ジーンズのコピー品騒動

 世界的な知名度のあるエビス・ジーンズの偽物が、韓国のショップで堂々と販売されているらしい。買っていく客たちは、日本製の本物だと信じ込んでいるそうだ。値段は本物の半額で、カモメのワンポイント、OSAKAの文字もそのまま使用している。

 先方の言い分は、「カモメのデザインは偶然の一致で、恵比寿様の顔は韓国にも似た物がある」とのことだ。単なる逃げ口上でしかない。明らかにエビス・ジーンズのコピー品だ。韓国の購買者がエビス・ジーンズと思って買っているのだから、弁解の余地は無い。エビスジーンズ側は裁判沙汰にすることを決定した。

 そうしたトラブルの顛末をテレビの報道番組で知った。日本でもジーンズマニアには知られているが、一般的にはまだまだ知名度の低いエビス・ジーンズ。それのコピー品が韓国で売れている。なんか変な感じがした。あくまで第三者の立場で無責任なことを言わせて貰えば、今回の騒動は日本国内での知名度と人気を高めることになったんじゃないだろうか。ニュース番組がエビス・ジーンズの宣伝をしてくれたようなものだ。そうした効果は計り知れないはず。さらに知名度と人気を獲得して、もっとビッグなブランドになってほしいと思った。

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2008年11月25日 (火)

ロンドン・ファッションは元祖ストリート系

 70年代のストリート系であるパンクを生み出したロンドン・ファッションは、その後もアバンギャルドなモードを世界に向けて発信し続けている。長い間、ロンドンファッションは、あまりにも過激すぎてモードの世界から異端児あつかいされてきた。その所為か、80年代に始まったロンドン・コレクションは、パリコレとミラノコレの陰に隠れてメディアやバイヤーからも無視されてきた。

 しかし90年代に入ると、世界のモード界がストリート・ファッションを無視できなくなり、がぜんロンドン・ファッションに注目が集まり出した。ロンドンコレクションのデザイナーたちも、それまでの単なるストリートファッションの域から抜け出し、オートクチュールに目を向けていった。そして現在のモード界に新しい風を吹かすことになった。

 アレキサンダー・マックィーンは、ストリート系とオートクチュールの間を縦横無尽に動き回るデザイナーの1人だ。69年生まれで、高校中退後、テーラーの修行をした。その後美術学校を卒業し、93年にロンドンコレにデビューした。普段着の彼は、ロンドンにたむろしているパンクそのもので、モヒカン刈りに古ぼけたジーンズといった格好である。とてもトップクラスのデザイナーには見えない。しかし、27才の時にジバンシィーのコレクションを担当し、若くして英国最優秀デザイナー賞も受賞している。

 クレメンツ・リベイロは、スザンヌ・クレメンツとイナシオ・リベイロの二人によるブランドだ。ロンドンの女子高生をイメージさせるガーリッシュ系で、日本でもセレクトショップで人気がある。キュートでロマンチックなスタイルは、ミュウミュウに似ている。

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2008年11月24日 (月)

大人になった浅田真央とファッション

 久し振りに見た浅田真央は、いつの間にか大人っぽくなっていた。ジュニアの時よりも5cm程背が高くなったそうだ。体つきも大人っぽくなり、ボディーラインは見違えるほどセクシーになった。そうした体の変化に合わせるかのように、コスチュームもガラリと変えてしまった。以前なら水色や白っぽいシンプルなものが多かったが、最近は情熱的で小悪魔っぽいコスチュームを選んでいる。

 顔も大人っぽくなり、メークがサマになる年頃になった。以前の子供っぽさは、もう何処にもない。これから1年ごとに成長を続けて、やがて立派な大人の女にるのだろう。誰でもいつかは大人になってしまう。大人になってしまえば、死ぬまで大人のままだ。そういう意味で十代の終わりは、だれでも輝いている。過ぎてしまえば、本当に素晴らしい瞬間だったと思う。綾小路キミマロが、おばちゃん達に向って投げつける言葉にもあるじゃない。「貴方達にも素顔がまぶしくてお尻が垂れ下がってない若い時があったんですよ!」まさに真央はその時を迎えているのだ。

 インタビューを受けている時の真央の私服も、大人っぽくなっていた。ニュートラ風で名古屋の女子大生みたいな感じである。やっぱり彼女にも愛知県の女性の血が流れているのだ。得意だったジャンプが、体の成長が原因で苦手になったらしい。大人になるための試練だと思ってがんばってほしい。

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2008年11月18日 (火)

プレッピーとコメディアンとビビる大木

 最近、ハマトラ、ニュートラ、プレッピー&アイビーといったファッションが復活している。ハマトラとニュートラは、元祖JJ風の横浜お嬢様系ファッション。メンズのプレッピーは、昔のアイビーに似たスタイルだ。その最たる特徴は、スリムパンツにある。ショート丈でなく、足首まで隠れるように履きこなすのがトレンドだ。そうしたプレッピールックの定番は細いネクタイ。スリムパンツとスリムタイこそが、プレッピー・スタイルの真髄なのだ。

 モダン・プレッピースタイルと呼ばれているファッションが新しい。ポイントは少しルーズな着崩し感にある。それによってさり気なくダーティなムードをプラスするのだ。ファッションの基本はトラディショナルなのだが、着こなしによるシルエットが新しさを感じさせる。

 最近、プレッピーと違った、長めでカラフルなスリムパンツ姿の若者をよく見かけるようになった。60年代後半から70年代前半のファッションに似ている。当時のメンズブランドの「JUN」のファッションをイメージさせる。アイビーの「VAN」と人気を二分したブランドで、アイビーの堅苦しさを嫌った遊び心のある若者の間でブレークした。

 プレッピーのファッション・リーダーは、間違いなく、「ビビる大木」だと思う。彼のセンスの良さには、いつも感心させられてきた。しかし、最近の「ビビる大木」のファッションは、ちょっとやり過ぎだと思う。プレッピーが派手になり過ぎると、昔のアメリカのコメディアンみたいになってしまうからだ。センスで勝負するなら、少し控え目にした方がいいんじゃないだろうか。

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2008年11月15日 (土)

偽物とは知らずにコピー品を造らされた時の話

 その密造品というのは、米軍のスカイパイロット・ジャンパーである。どんなジャンパーか知りたい人は、水谷豊主演のテレビ番組「相棒」を見て欲しい。亀山という刑事が着ているモスグリーンのジャンパーは、もしかしたら最近のスカイパイロット・ジャンパーかもしれない。ワッペンがたくさん縫い付けられたやつだ。断定は出来ないが・・・

 十数年前のことだった。ある日、突然、見知らぬ男がジャンパーのサンプルを持って僕の仕事場を訪ねてきた。それが米軍のパイロット・ジャンパーだったのだ。当時、パイロット・ジャンパーのことを知らなかったので、仕事を引き受けることにした。全部を前金といった支払い条件の良さに、即決してしまった。300万円の札束を見せつけられたら、誰でもその気になってしまうに違いない。

 発注数は300着で、1着が1万円の計算になる。そこで僕は東京の浅草橋の現金問屋に出向き、モスグリーンのMA1を1着3000円で仕入れた。そして群馬の桐生の刺繍工場で、五種類のワッペンを作らせ、それを都内の縫製屋でジャンパーに縫いつけたのだ。ワッペン代と縫い付け代を合わせて3500円だったので、一着につき3500円の利益になった。合計では100万円ちょっとの儲けになったのだ。10日間で100万円を稼いだことになる。後日、それが米軍のパイロット・ジャンパーのコピー品だと知ってびっくり仰天した。密造の片棒をかつがされたのだから。幸いにも警察沙汰にはならずに済んだ。しかし、その後は二度と密造品に手を出すことはなかった。

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2008年11月 9日 (日)

京舞妓・豆春のファッション日記NO.1

 私が舞妓としてデビューしたのは十六歳の春。それから一年半が過ぎてしまいました。 朝は七時過ぎに起きます。睡眠時間は五時間程度。朝食は食べずに稽古着に着替え、舞の稽古の予習をします。ご飯を食べたら稽古に集中できまへんから。食事は昼に一回だけが普通です。

 昼食は置屋のメンバー全員が集まり、夜のスケジュールの打ち合わせをします。それが終わってから夜の座敷までが、私らの自由時間になります。体調が悪かったら昼寝することもありますけど、たいていは起きてて読書したり散歩したりします。お客さんとの会話で必要な情報を読書で仕入れるんです。お客さんの話題に合わせるのも、私らの仕事の一つですさかい。

 休憩時間はフリータイムなんで、好き勝手に過ごしとります。もちろん外出することもあります。祇園の近くならほとんど着物で出かけますが、少し遠出をする時なんかは、洋服を着ることもあります。

 そんな時、ラフな格好をしたいんやけど、ジーンズははきません。ジーンズに限らずパンツ・ルックは禁物です。その理由は、仕事で着物を着た時のことを考えるからです。スカートならまだしも、開放的なパンツ・ルックは姿勢を変えてしまいます。

 せっかく着物に着慣れて内股歩きにも慣れてきたのに、パンツなんかで歩いたら、全てが台無しです。そうしたことは、誰かに言われるまでもなく、日頃から自分で注意します。逆に着物姿に憧れて、この世界に入ったんやから、当然のことと思ってます。

 正直な話、ジーンズは買ってあるんです。そやけど時々足を通す程度で止めてしまいます。持っているだけで、それで満足してるんです。仕事を辞めたら、好きなだけジーンズをはくことが出来ますさかい。それでも、普通の女の子のファッションが気になります。そやから時々ファッション雑誌を見て、トレンドの情報だけは頭にインプットしてます。私が好きなんは、花柄のワンピースです。バッグはミュウミュウを持ってます。好きなブランドはサンローランです。仕事の時はオシロイをベタベタに塗ってるもんやさかい、外出する時はノーメークの素顔です。長い髪を引き詰めて、頭の上でお団子みたいにして外出するんどす。私のことに興味がおましたら、下記のサイトを訪ねて下さい。よろしゅう、おたの申します!

京舞妓・豆春はんなり京都案内

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2008年11月 4日 (火)

原宿で 売られているアイドル写真について○ バッタ屋

 僕の運営するバッタ屋のブログが、ヤフーの検索エンジンで何位に表示されているかチェックしてみた。結果は5位だった。その時に「教えてgoo」に面白い記事かあったので紹介します。○ 原宿で 売られている、アイドル の写真について○ バッタ屋-という件名で女の子が質問しているんです。

 質問・・・・・「私はずっと気になっていたのですが、ジャニーズやハロプロのコンサート中のお写真などが、原宿のバッタ屋やコンサートの帰り道で売られていたりしますよね?あれは、どなたがどうやって撮っているものなのでしょうか。プライベート中の写真でしたら、誰かが撮れるかな、とは思うのですがコンサートはカメラの持ち込みも厳しくチェックされますし、事務所自体が認めているとしか思えません。

 昨日、17日にあったKAT-TUNの東京ドームのコンサートへ行ってきたのですが、帰り道にあったバッタ屋で、もうその日のうちに、そのコンサートの生写真が売られていたのです。あれは、どうやって撮っているのでしょうか、本当に気になります。会場内には、携帯電話を出しただけで注意してくるスタッフさんが大勢です。その中で、あんなプロ並み?というか、まともな写真をキレイに撮っているのは、どんな方なのでしょうか、と。しかも、帰り道で外で堂々と販売してますが、注意はされないのでしょうかね。バッタ屋は、どういう法律で、その存在を許されているのでしょうか。どなたかお答え頂けると幸いです」


 回答・・・・・・「タレントの写真などを無断で販売している関係のプロがいるので、カメラなどもプロが使用する物なのでいい性能のものを使用しています。こういったプロの人は、関係者としていろな所に入り撮影しています。プロですので、偽って関係者として入る方法がうまくあるらしいです」
 
 
 この回答はかなり正確なものだと思う。コンサートをやる時のスタッフはスゴイ数になる。昔、僕の弟がバンドマンの付き人をやっていたことがあった。その時、僕はスタッフみたいな顔をして何度もコンサート会場やテレビ局に入ったことがあった。スタッフの知人に関しては、フリーパスだったのだ。だから、その気になれば、悪徳業者のカメラマンがコンサート会場に入ることはそんなに難しいことではないのだ。

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2008年10月25日 (土)

ドルチェ&ガッバーナのジーンズ

 仕事着のジーンズに、モードの感性とセンスを注入し、ラグジュアリーなジーンズにデザインアップさせたのがドルチェ&ガッバーナ。毎シーズン10パターンのモデルを発表しながらも定番が一本も無い。それは常に新しいデザインをクリエートし続ける為でもある。

 ドレッシーなジャケットとジーンズの組み合わせなどは、ドルチェ&ガッバーナが火を点けたと言っても過言じゃない。しかし、数年前から継続されてきたキレイなジーンズから一転し、今度は汚れ気味のジーンズに方向転換した。そしてダメージ加工という進化した加工技術を駆使して、既成のイメージに縛られない新しいジーンズを生み出そうとしている。

 フロントからバックまで多くのパッチワークをしながら、見た目もハキゴコチもスッキリしている。その理由はヒートシールド加工にある。熱処理によって縫い目がないのだ。ポケットやベルトの部分も、縫い目を表に出さないことで、大人っぽいドレッシーなイメージを作り出している。ヒップのポケットは、先に生地を一度くり抜き、裏側から生地を縫いつけてある。まるでポケットが埋め込まれたみたいな感じだ。

 イタリアといえば、アルマーニやヴェルサーチといったビッグネームが、長い間メディアの注目を浴び続けてきた。そんな中でドメニコ・ドルチェとステファノ・ガッパーナは10年以上もメディアに背を向け、独自のデザイン活動をしてきた。徹底してホットな南国風のスタイルをつらぬき、それを発展させてデザインを完成させた。流行をつくり出すのでなく、一つのスタイルにこだわり続けたのである。彼らが完成させたロマンチックでセクシーでホットな南国スタイルは、今では世界中の女性たちを虜にしている。

 ドルチェはイタリア南部、ガッパーナは北部の出身だ。ドルチェは坊主頭の小柄な男で、シチリア人の仕立て屋の息子だった。田舎暮らしに嫌気がさして18才の時にミラノのデザイン学校に入った。そこでガッパーナと出会ったのである。ガッパーナは社交的な性格の二枚目で、何事にも積極的な男である。服つくりに対する情熱だけじゃなく、いろんな面で意気投合した二人は、共同で仕事を始めた。しかし、成功するまでの道のりは長かった。

 運良く85年のミラノのコレクションでデビューした二人は、イタリア・ファッションの異端児として注目されるようになり、そして現在の名声を博したのだ。今では世界中のいたる所に彼らの支店がある。レディースはもちろんのこと、メンズも超一流になった。セカンド・ラインの「D&G」も大盛況である。

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2008年10月18日 (土)

株価暴落とファッションとボディコン

 アメリカ発の株価の暴落と円高で、日本経済も多大な影響を受けてしまった。特にアメリカの不景気風は深刻で、あらゆる商品が売れなくなってしまったらしい。ローンで借金してでも買い物をする米国人が、節約を始めたのである。

 不景気になるともろに影響を受けるのがアパレル業界である。収入が目減りすると、誰もが衣服を買い控えることになり、服が売れなくなってしまう。実際に米国では、閉店に追い込まれた衣料品店が急増しているらしい。

 景気とファッションとの過去の関係を振り返ってみると、けっこう面白い。日本が経済成長を始めた60年代から70年代。好景気だった80年代のバブル期。バブルがはじけた90年代。そして不景気の長いトンネルをなんとか抜け出した2000年以降。そうした時代背景の移り変わりによってファッションも変貌した。

 景気の影響を受けてファッションが変わるというよりも、人間そのものが変化してしまうのかもしれない。同じ人間でも、貯金がたくさんある場合と、借金だらけの場合とでは、まったく別人になってしまう。金回りが良ければ派手になるし、財布の中がさみしくなれば地味なファッションになってしまう。

 そうした因果関係の典型的なケースは、バブル崩壊寸前のボディコンだった。好景気と言う名のお祭り騒ぎの終焉と重なったボディコンファッションのブームは、未だに記憶に新しい。ジュリアナ東京のディスコで、ボディコンギャルたちが腰をくねらせて踊り狂っていた。ジュリ扇を振り回すギャルもいれば、天狗のお面をかぶったギャルもいた。まさに好景気と言う名の祭りの終わりを象徴する社会的現象であり、派手さの極みのファッションであった。

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2008年10月 3日 (金)

渋谷とアニメと小栗旬の日本

 先日のNHKの番組で、浅草の安ホテルに滞在する若い外国人観光客のことを取り上げていた。二十歳前後から三十前後の白人客が中心で、彼らのユニークな観光目的にスポットをあてていた。彼らの渡航目的は、以前のような富士山や京都じゃなくて、渋谷やアイドルショップといったものなのである。

 大半が大なり小なり日本製アニメやドラマの影響を受けている。昔の日本人が米国製のディズニーのアニメに影響を受けたみたいに。アニメだけじゃなく、日本人のアイドルたちも大人気だ。日本人アイドル好きのオランダのギャルたちが、嬉々として渋谷のアイドルショップに出かけるのだから。買い物した後は、小栗旬のドラマの舞台になった場所へ行って記念写真を撮っていた。そうした情報は日本のネットサイトから仕入れるらしい。

 デンマークのギャルたちは、大好きなアニメの手作りコスプレを持参していた。そしてアニメに関する商品を買い物して、最後はカラオケBOXでアニメの主題歌を歌っていた。日本語はしゃべれないが、歌詞を全部暗記していて、最後まで見事に歌いこなした。本当に日本のアニメが好きなのである。

 日本のマンガとアニメに世界の若者が熱中していることは知っていたが、ここまで夢中になっているとは思いもしなかった。特にヨーロッパの若者の熱狂振りは異常である。彼らが好きなのは新しい日本の文化であり、伝統的な日本はまったく眼中にないのだ。

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2008年9月26日 (金)

最近のファッションの流れと傾向

 どの時代にも、派手なハイファッションと、地味でノーマルなファッションの二つが存在する。ハイファッションというのが憧れの夢の世界だとすれば、ノーマル・ファッションは現実世界のものである。ミュージシャンや芸能人たちのセンスに感化されたものが前者で、実生活における普段着が後者ということになる。

 ステージやテレビ番組では派手なファッションのミュージシャンや芸能人たちも、普段着は意外にノーマルで地味である。仕事とプライベートを使い分けているのだ。ハイファッションではリラックスできないからだろう。仕事の時は少しでも目立つように、逆にプライベートの時は目立たないようにしている。しかし、彼らに対するファンのイメージは、いつもハイファッションのままだ。彼らの私生活を知らないからそうなるのだろう。

 レディースでいえば、90年代に派手でセクシーなファッションが、都会の一部でマイナーブームしたことがあった。渋谷109系や大阪のイケイケギャル等が派手で目立った。ところが最近のレディースファッションは、全体に地味目になってきたような気がする。卓球の福原愛が着たら似合いそうなスタイルが主流になってきた。普通でノーマルな普段着っぽいスタイルの女の子たちが確実に増えている。

 メンズでもトラディショナルなプレッピーやアイビーがトレンドになった。派手過ぎないでノーマルなファッションが主流である。派手さは無くても、普段着の延長線上でオシャレを楽しんでいる。プレッピーやアイビーでも「ビビる大木」みたいな派手で目立つカッコウをすることもできる。普段着をどれだけセンスアップするか。ハイファッションじゃなく、普段着感覚でオシャレを楽しむ時代になったといえる。

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2008年9月18日 (木)

オークションで見る「奈良着」の謎

最近、オークションで「奈良着」というのを時おり見かけるようになった。そこで奈良着がいったい何なのか調べてみた。同じように疑問をもった人が、次のような質問をしていたので、紹介しておくね。


質問・・・・『奈良着』というのをオークションなどで見かけますが なんですか?(堂本着 とも載ってるので 堂本剛は奈良出身でしょ?) 教えて下さい

回答・・・・モデルの奈良裕也が、雑誌かなにかで、着用したって意味だと思いますよ。

回答・・・・奈良という男性モデルの方がいます。本業は美容師だったかな。多数の男性ファッション誌に載っています。奈良さんが雑誌の撮影で着用していたということでしょう。本人が一度着たものを出品している、というわけではないです。

回答・・・奈良さんって雑誌とかに載ってる美容師さんです。

回答・・・東京のSHIMAで働いててチョキチョキとかに載ってる人なんじゃ。

回答・・・アタシの聞いた話では、実際SHIMAで切ってもらったみたいだけど、カット技術は普通だったらしいですよ。あと、ホモっても聞きました。カッコイイからだれかの僻みかもしれないけど、本当だったら残念ですよね。

回答・・・奈良さんは埼玉の人だよ~

回答・・・あたし元中だよぉ♪確か国際文化理容美容の国分寺高でてるよね。

回答・・・火曜日に原宿とかあるいてるとたまに見ますよ☆

回答・・・小柄でかなりのイケメンです♪ディレクターになって、そろそろ独立の噂も・・・

回答・・・本人が好きで美容師して、ファッション好きで読者モデルして、それを周りが取りあげて編集してるんだからそれをそばからどうこう言うことないんじゃない?奈良裕也はありのままに正直に生きているだけなんだから。


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2008年9月13日 (土)

「とんねるず」も好きだったパーソンズ

 大好きなダンガリーのシャツがある。二十年以上前に買ったパーソンズの製品だ。何故だか、そればかり着続けている。だって、いつまで経っても長持ちしているし、飽きがこないんだもの。20年の間に、たくさんのシャツを買ったけれど、どうしてもそのシャツを着てしまう。

 だけど、そのシャツがパーソンズの製品だと気付いたのは先日のこと。何気なく首のところの織ネームを見た時、パーソンズのロゴマークが目に入った。「そうだったのか!パーソンズだったんだ」と納得した次第。そのシャツを買った頃は、パーソンズがブレークした時で、若かったとんねるずがパーソンズの広告塔になっていた。ブルゾンの胸や背中のロゴマークの大きなワッペンを仕事で大量に製造して稼がせてもらった。

 けっこう価格は高かったけど、仕事関係の人間には原価の安い値段で売ってくれた。これは他のメーカーも同じことで、下請けの人間にとっては有りがたいことだ。だから当時のとんねるずとパーソンズは、いつまで経っても忘れられない存在だ。最近はオジサンになった木梨のりたけも、当時は若くてカッコ良かった。一方の石橋は、昔とあまり変わっていない感じだけど。

 若い人は知らないだろうけれど、80年代半ばのパーソンズの人気はスゴカッタね。2000年代のストリート系の元祖みたいなものだった。ところが最近は知名度が落ちてパワーも無くなってしまった。レディースをメインにして細々とやってるみたいだ。バブルがはじけて高価なカジュアル・ウェアは売れなくなった所為だろう。

 ブルゾンのワッペン代の原価が3000円以上するってことは、商品になったら1万円くらいになってしまう。ワッペン代だけで1万円するんだから、かなり高いブルゾンになってしまう。それでも飛ぶように売れたんだから、バブル期の購買力がどれだけスゴカッタかということだ。

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2008年9月 5日 (金)

ユニクロ・ドットコムのスゴサと弱点

 ユニクロがネット販売を始めたのは2000年10月のことである。フリースがブレークした時のことで、アクセスが驚異的に集中した。その時の週間ランキングでは、五日間で38万人がアクセスし、いきなり3位に初登場した。1位がヤフーで2位は楽天だった。

 もともと衣類は、ネット販売に向かない最たる商品である。通常なら、見て、触って、試着して買うのがウェアである。衣類をパソコンの画面で見ても、生地質や素材感などが伝わらない。その所為もあってか、衣類のネット販売はトラブルが絶えない。場合によっては、注文したものと違う商品が送られてくるケースもあるそうだ。日本に代理店の無いアバクロなんかの場合は、コピー商品が送られてくるケースも稀にある。

 ユニクロがネット販売に参入した理由の一つは、客が欲しいと思った時にいろんな手段で購入できるようにする為である。ネット販売はそうした手段の一つになっている。それだけユニクロにブランド力がついて客の信頼を得たことになる。ユニクロなら間違いがない、と思う客が増えたのだ。

 そんなユニクロであるが、ウィークポイントもたくさんある。その一つはアイテム、商品数の少なさだ。GAPならば、それこそベルトまで揃っていて、GAPの商品だけでコーディネートできてしまう。それに比べてユニクロはアイテム数がまだまだ少ない。フリースでブレークした時のように、単品をたくさん売り切るといった会社の方針が見え隠れする。それともう一つは、安い価格でマニアックなものを販売しようとする点だ。ヴィンテージ・ジーンズやヴィンテージ・チノズを三千円前後で販売している。マニアたちにすれば、安過ぎて逆に納得がいかない。それこそ子供だましみたいなものである。ヴィンテージのチノパンツなんて、見たことも聞いたこともない。

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2008年9月 2日 (火)

アイビーとロカビリー・ファッションの接点

 先日、NHKの歌番組でロカビリー三人衆が出演していた。彼らが活躍していたのは50年代だった。彼らの若い時の写真を見て、当時のファッションに魅せられてしまった。ヘアースタイルはリーゼント風で、50年代にアメリカで流行したロカビリー・ファッションを着ていた。最近の傾向として、メンズのズボンがスリムになってズボン丈が短くなった。当時のマンボズボンとまったく同じである。オープンシャツやセミブーツも復活しつつある。ロカビリー・スタイルが新たなトレンドになるんじゃないだろうか。あの桑田圭祐でさえ、ダーリングでロカビリー風の格好をしていた。

 日本でアイビーが流行したのは60年代後半からである。50年代のロカビリーからアイビーに変わっていく途中に、中間のファッションが出現した。イメージはアイビーで、シルエットや細部はロカビリーとヨーロピアンが混じったスタイルである。若い人は知らないと思うが、太陽族で有名になった俳優の石原裕次郎の若い時のファッションがそれである。細いネクタイや細い襟のジャケットなんだけれど、ヨーロピアン風のダブルになっている。アイビーもロカビリーもシングルのジャケットだけである。中途半端で変なファッションだと思った。

 まだ本格的なマンボズボンは流行していないが、復活しそうな気配がある。日本でグルーブサウンズがブレークした時は、マンボズボンにミリタリージャケットにセミブーツがユニホームみたいになった。トヨタのCMに出てくる携帯電話を持った外人は、ほとんどマンボに近いズボン姿だ。西洋人は足が長いので、本当にマンボが良く似合う。イマイチ日本でマンボズボンがブレークしないのは、短足の日本人に似合わない所為かもしれない。

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2008年8月21日 (木)

消えたエキゾチック・ジャパン

 「エキゾチック・ジャパン!」と郷ひろみが歌っていた時代があった。いつ頃だったか忘れたけれど、その歌がヒットした当時は、確かに、いろんな意味で日本はエキゾチックだった。しかし、今の日本にはエキゾチックなものが無くなってしまった。時代の流れと言ってしまえば、それまでの話だが。

 どうして、そうなってしまったのだろう?おそらく日本人が変わってしまったからだろう。あまりにも西洋ナイズされてしまった所為としか言いようがない。ファッション面では、この20年ですごくセンスアップした。特にヤングはオシャレで、昔に比べればカッコいい若者が増えた。何処の街にもジャニーズ系の若者がいる。それに比べて、昔の日本人は本当にダサくてヤボったかった。

 ファッションのトレンドは全て西洋が作り出し、そうしたスタイルを昔の日本人はそっくり真似たのである。西洋人には似合っても、日本のイモ兄ちゃんや姉ちゃんには似合うはずがない。日本人と西洋人との間には文化や生活習慣に大きな違いがあり、西洋のファッションを日本人ぱ着こなせなかったのだ。体や顔だけじゃなく、心も日本人そのものだった。すべてが和洋折中で、まだまだ古い日本がたくさん残っていた。そうした古い日本こそが、外国人だけじゃなく日本人にとってもエキゾチックに感じられたのだろう。

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2008年8月16日 (土)

ジーンズを完成させた男

 ジーンズが完成したのは、1870年頃だそうだ。そもそもジーンズとは何か?ブルー・ジーンズとは、最低三つの条件を満たしていなければならない。その一つはブルー・デニムを使っていることだ。これは誰でも知っていることである。

 二つめは何かというと、ポケットの数が五つあることだ。これを「ファイブ・ポケット」と呼んでいる。三つめは何かというと、ジーンズのあちらこちらに打ち付けられた銅製の鋲である。これを「カバー・リベット」と呼んでいる。補強するために打ち付けられている。

 作業ズボンに鋲を打つことを思いついたのは、ジーンズの生みの親のJ・W・ディビスである。破れやすいウォッチポケットを補強するために、作業台に偶然に転がっていた鋲を試しにうちつけたのである。

 さて、どうしてジーンズの場合は、鉄じゃなくて銅のリベットを使うのだろう?鉄の場合はさびるけれども、銅はさびないし、銅の適度な硬さがジーンズに合っているそうだ。1870年以前にも、ブルー・デニムを使った作業ズボンは存在したらしい。「ファイブ・ポケッ ト」も存在したそうだ。ただ一つだけ、銅製のカバー・リベットだけが存在しなかったのだ。それじゃあ、いったい誰が銅製のカバー・リベットをデニムの作業ズボンに打ちつけたのだろうか?

 それは米国ネバダ州の小さい町の仕立て屋の男だったそうだ。その仕立て屋にカバー・リベット付きのデニムの作業ズボンを注文したのは、近くの木こりの男の女房だった。主人の仕事のために、どうしても丈夫な作業ズボンが必要だったからだ。こうして現在のブルー・ジーンズの原型が完成したそうである。

 リベットが鉄じゃなくて銅製なのには理由がある。デニムという生地に打ち付けるには、銅の適度な固さが最適なのだ。鉄のように錆びる心配もない。たまに緑青を吹くことはあるのだが。銅製のカパーリベットこそが、ジーンズらしさを演出する大切なパーツだと言える。

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2008年8月12日 (火)

「チノーズの復活」アメトラの基本アイテム

 アメトラ復活の影響で人気がブレークしているチノーズ。腰まわりがタイトで、股上が深く、シルエットが野暮ったいのだが、その野暮ったいカタチが今は逆にカッコいい。粗野なチノ生地の風合いも良くて、大ブレークしそうな感じがする。最近プレッピースタイルが流行しているけど、そのプレッピーといえばチノパンが基本アイテムの1つになるのだ。
 
 チノパンの正式名称は「チノーズ」。チノパンの原型は軍用パンツ、中国からの買い付けだったのでチノーズ(chinos=中国の)パンツと呼ばれた。それがチノパンと呼ばれるようになった。昔のアイビースタイルでは、くるぶしが露出するくらいのレングスが一般的だった。つまりパンツの丈が短かったのだ。そして細身のテーパードシルエットで、タイトめフィットだった。

 先日、昔はいていたチノーズをタンスから取り出してみた。二度と着ることはないと思っていたのだが、アメトラ復活のお蔭で、トレンドなアイテムになってしまったからだ。さっそくチノーズをはいて街に出てみた。古臭いはずのチノーズが、トレンドなオシャレ着に変身してくれるなんて。パンツの丈の短さが、最高にカッコいいと思った。靴はもちろんデッキシューズ。本格的なアイビースタイルで最高の気分になって街を練り歩いたオジサンでした。

 チノ
綿の双糸を使った丈夫な綾織物。チノ・クロスともいう。当初、米軍が中国から調達したことからの呼称。カーキ色などに染めて、軍服やユ二フォーム、カジュアルウェアーなどに用いられる。
<文化出版ファッション辞典より>


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2008年8月 8日 (金)

恥ずかしいファッション

 うちの近所のツッパリ系の女子高生が、ネイビー色のお嬢様っぽいワンビースを着ていた。「可愛いね」と声をかけたら、「恥ずかしい!」と言って苦笑いをした。普通の女の子のフアッションが、彼女にすれば恥ずかしいのである。いつものようなツッパリのスタイルの方が、リラックスできるのだろう。最近、交際を始めた男子高生が、普通の真面目な男の子なので、無理してワンピースを着たのだと思う。

 自分の場合、三年振りにアロハシャツを着たのだが、家を出てすぐに恥ずかしくなってしまった。三年前は平気だったのに、何故か他人の目が気になってしまい、途中でメッシュキャップを買って顔を隠した。若くもないのに派手なシャツを着たことを後悔しながら早めに家に帰った。

 恥ずかしいカッコウというのは、人によって違うものだ。普通のカッコウが恥ずかしかったり、派手な服が恥ずかしかったり、セクシーな服が恥ずかしかったりと千差万別である。一つだけ言えることは、本人が恥ずかしがっているだけで、他人は何とも思っていない。だけど、本人はすごく意識してしまうのだ。

 先日、十代の女の子みたいなスリムなジーンズと派手なカットソーとキャップをかぶった女が前を歩いていた。すれ違った時に横顔を見たら、六十代のオバチャンだった。自分の孫と同じようなファッションで堂々と歩いている。ちっとも恥ずかしがっていない。逆に見る方が恥ずかしくなった。いくら本人の自由であっても、少しは自分の年齢を考えてほしい。

 三十過ぎのニューハーフの男も、ワンピースを着て近所をうろついている。スケスケのワンピースなので、女物の下着が丸見えになっている。そのカッコウを見せられる度に、気持ちが悪くなってしまう。「自由という意味をはき違えているのが、お前には分からないのか!」と言いたくなる。

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2008年8月 5日 (火)

永遠のアイドル

 永遠のアイドルなんていない。どんなにビッグネームなアイドルだって、年齢には勝てない。誰もが平等に同じように年をとり、いつかは全盛期を過ぎて人気も下降線をたどる。それに入れ代わって新しいアイドルが誕生し、また同じことが繰り返される。

 はっきり言って30才を過ぎたらもうアイドルじゃない。だけど「アイドル性」というものが残る場合がある。若いときにアイドルだったイメージが、いつまでも消えない歌手やタレントが存在するのは確かだ。アイドルのオーラみたいなものが、いつまでも全身から湧き出ている。SMAPがそれだし、もっと年上の郷ひろみ、さらに年上のロックンローラーの矢沢永吉といった連中にそれを感じる。永ちゃんの場合は三十年以上もロックを歌い続け、五十代後半でも変わらずロックンローラーの現役なのだ。僕にとっては永遠のアイドルである。

 残念ながら女性歌手には、該当する者がいない。永遠のアイドル松田聖子なんてキャッチコピーがあるけど、冗談じゃないぜ!どこが永遠のアイドルなんだ!ただの若作りのオバハンじゃないか。街ですれ違ったら、それこそ見向きもしないと思う。男性の場合は中年になっても渋さやダンディーさで輝けるけど、女性の場合はそれに取って代わるものがない。昔のアイドルたちは、誰もが普通のオバサンになる運命なのだ。

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2008年8月 3日 (日)

米国セレブとパパラッチ

 先日のテレビでアメリカのパパラッチの特集番組を見た。パパラッチというのは、主にハリウッドスターたちの日常生活を撮影するカメラマンのことだ。日本でいえばフラッシュのようなスキャンダル雑誌の写真を撮影するのである。トクダネ写真を撮影すれば、五千万円くらいの値がつくんだそうだ。ショッピングに出かけた時のセレブたちを待ち受けるのが、そうしたパパラッチの手口の一つである。

 ハリウッドスター、ミュージシャン、スポーツ選手といったアメリカのセレブたちは、日本のセレブたちとはいろんな面でスケールが違う。はっきり言って日本に本物のセレブは存在しない。収入が桁違いだし、何よりも世界の注目度が違う。

 セレブたちの日常生活を撮影する目的の一つに、彼らのプライベートなファッションを世間に知らしめることもある。映画やステージの衣装と違ったセレブたちのファッションに、全世界が注目しているからだ。そうしたことを利用しているアパレルメーカーもあるらしい。セレブたちに自社の服をプレゼントするのである。その服を着たセレブたちの姿をパパラッチが撮影し、それが雑誌に載れば会社の宣伝になるからだ。その効果はテキメンで、たちどころにアパレル会社は注目されることになる。本当に安上がりな宣伝方法だと思う。

 日本の芸能人や有名人の普段着は、どちらかといえば派手じゃないと思う。特に俳優たちの場合、テレビ番組ではスタイリストがコーディネートした服を着ているが、普段着のセンスはあまり良くない。ハリウッドスターに比べれば月とスッポンだ。日本のタレントやスポーツ選手の普段着を撮影しても、誰も注目しないので値打ちもない。

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2008年8月 2日 (土)

開襟シャツ・ファッションのブーム

 開襟ファッションと呼びたくなるメンズのスタイルが、今年になって定着しつつある。真っ白なスーツと真っ赤なシャツを組み合わせたり、ピンストライプのダークスーツに襟の開きの大きいシャツを合わせたりする。ノータイの業界人やビジネスマンの間で広がりつつあるみたいだ。スーツにネクタイをきっちり結んだスタイルでは堅苦しいし、ジーンズにポロシャツ姿ではカジュアルすぎる。そうしたケースに、開襟ファッションはマッチするのだろう。

 ノータイなのに洗練された雰囲気だ。ラウンドカラーの襟をわざと立てたり、大きく襟を開いた胸元にストールを巻いて装いのアクセントにする。とにかく個性的なのだ。ただし、着こなしにはかなりのセンスが必要になってくる。快適だけど、シンプルなスタイルだから、おしゃれに見えるには工夫が必要なのだ。強面のアウトローっぽい男が着ると、ヤクザっぽくなってしまう。チャラチャラした男が着ると、遊び人風に見えてしまう。

 この開襟シャツは、意外だけれども、暑いに日本で生まれた日本製のシャツなのだ。麻のスーツとハットやハンチングに開襟シャツを着た戦前の日本男性が、扇子を小脇に抱えた姿を古い写真や昔の映画で見かけることがある。古い映画に出て来る刑事は、どう言う訳か、ほとんどが開襟ファッションだ。

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Tシャツの図案もピンからキリまで

 夏になると、ヤングだけじゃなく、ジイちゃんバアちゃんまでTシャツを着る。それこそ街中がTシャツだらけになってしまう。Tシャツのデザインを仕事にしている自分にとっては、デザインの参考になるのでアリガタイ。ブランド品じゃなくて安い量販店向けのTシャツが一度にたくさん見られるからだ。

 70代のジイちゃんがヒステリック・グラマーに似たTシャツを着ていた。と言っても本物の真似をした安物である。コピーにならない程度にヒステリック・グラマーのデザインを真似ている。他にもブランド品のそっくりTシャツをたくさん見かける。本物と似ていても、どこかに違いがあれはコピー品にはならない。例えば、図案はほとんど同じでも、ロゴマークが違えば何の問題もないのだ。

 安いデザイン料で仕事をする場合、デザインには時間をかけられない。どうしてもブランド品の真似をしてしまう。サーフ柄の場合なら、海岸の景色を裏返して左右を逆にするのだ。サファリ柄も同じである。そしてロゴマークだけ自分でデザインする。そうすれば似て非なるものが出来上がる。量販店向けのTシャツの大半は、そうしてデザインされているんじゃないだろうか。ブランドTシャツが高いのは、生地代や縫製代と同じように、デザイン代も高いからである。ナイキのようなワンポイントの図柄は別にして。

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2008年8月 1日 (金)

ロングスカートを熱望する男子高校生

 先日、ロングスカートを検索中に面白い掲示板を見つけた。ツッパリ系の連中の掲示板で、元スケ番の女と男子高生とのやり取りが笑わせる。男の子たちは、ミニスカートの女子高生にアキアキとしているらしい。その理由が面白い。ミニスカの女は、足が太くて顔が豚マンみたいで、何処にでも座り込んで携帯をいじっている。最悪なのは、夏はヘソを出すために下着を身に着けないので汗臭くて不潔だ。確かにその通りで、俺たちオジサンとまったく同じことを男子高生も感じているのだ。

 そうしたミニスカ女に対するアレルギーや反発心が、昔のロンスカに対する憧れを男子高生に抱かせているみたいだ。そこに登場したのが身長172cmの元スケ番の女。昔のスケ番時代の話を、掲示板で男子高生に面白おかしく語っている。元スケ番の女は、高校卒業後にホステスになり、現在はなんとか普通の主婦に納まっているそうだ。

 その掲示板で知ったことなんだけど、最近はロンスカ制服の女子高生があちらこちらで出現しているらしい。先日、大阪で見つけたロンスカの女子高生もそのうちの一人だったのだ。彼女もやっぱり長身で、スタイルがすごく良かった。背が高くないとロングスカートは似合わない。昔のようなツッパリでなくても、ファッションとしてロンスカ制服がブレークしそうな予感がある。当事者でもある男子高生が、女子高生のミニスカ制服にアキアキとしているのだから。

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2008年7月31日 (木)

プレッピーとアイビーの違いは何?

 「アイビー」は、アメリカのアイビーリーグ(ハーバード、イエール、プリンストン、ペンシルバニア、ブラウン、ダートマス、コロンビア、コーネル)の8大学のカレッジ生活から生まれたファッションのこと。日本ではVANというブランドが若者たちにアイビースタイルを広め、60年代に大流行した。アイビースタイルには多くのルールがあり、ある意味では保守的で伝統的なファッション・スタイルだ。

 それに比べてプレッピーは、アイビーの弟分的な存在で、どちらかと言えば高校生向けのスタイルだ。基本的にはアイビーと同じだけれど、高校生が中心なだけに、アイビーより若々しく自由な感じのスタイルになる。カジュアルなアメカジとアイビーをプラスしたものと言える。シャツをパンツの外に出したり、パンツの丈を短くしたり、裸足に靴を履いたり、とアイビーのルールを破って着崩したスタイルも含まれる。

 もっとも大きな相違点があるとすれば、ブルージーンズをはくかはかないかの違いだろう。正統派の古いアイビースタイルでは、ジーンズをはかなかった。それがルールの一つだったからだ。しかしプレッピースタイルでは、ブルー・ジーンズが主役のアイテムになっている。伝統的でトラディショナルなスタイルがアイビーで、それを少し気崩したのがプレッピーということになる。早い話が、アイビーは古くて、ブレッピーは新しいスタイルということだ。

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2008年7月27日 (日)

アロハは日本の着物柄の開襟シャツ

 アロハシャツの起源に関しての説はいろいろあるが、日本移民の所持していた着物の美しさに惹かれた現地の人が、着物を開襟シャツに仕立ててくれと依頼したことが始まりとも言われている。「シルク地の派手な着物柄の開襟シャツ」がアロハシャツだと、昔のハワイの書籍にも書かれている。

 最近のアロハはポリエステルが主流だが、昔のアロハはシルクやレーヨンが主流であった。ハワイには、アロハシャツに用いられるようなカラフルな生地を染める技術が無かったので、ほとんどのアロハシャツの生地は、着物地の本場である京都の染色工場で作られた。60年代には洗濯が簡単なポリエステルの登場により、アロハシャツの着用が増えていった。そうしてアロハシャツの生産をメインにしたアパレル産業は、ハワイの主な産業に発展したのである。

 京都西陣の着物・浴衣・反物から作った和柄シャツやアロハシャツの愛好家が日本には多い。昔のハワイの和柄アロハは、ビンテージ・アロハとしてマニアの間で高い値がついている。シルク製ならきっと長持ちするに違いないし、発色も鮮やかなのだろう。とにかくアロハは派手さがポイントである。派手でなければアロハじゃないのだ。

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2008年7月26日 (土)

ホワイトシャツはベーシックだからこそオシャレ・イタカジ入門

 ホワイトシャツは一番ベーシックなアイテムだ。べ―シックだからこそ、使い回しもしやすい。スーツやジャケットだけじゃなく、ブルゾンなどのカジュアルなファッションにも合わせやすい。しかしベーシックで便利なアイテムだけに選択が難しい。同じホワイトシャツでも明度や生地質の違いがある。素材の違いで光沢や質感はまったく別物になる。目の粗いオックスフォードのような厚手もあれば、アルマーニ・ジーンズのホワイトシャツみたいな薄手のものもある。

 アルマーニジーンズは、アルマーニのカジュアルラインとして1981年に誕生した。一見するとシンプルだが、よく見ると凝っている。襟のバランスが良くて、生地には綾織のパターンが入ったものがある。他にもフロントにプリーツが入っていたり、ウィングカラーみたいなフォーマルっぽいシャツがある。そうしたシャツを洗いざらしにして、カジュアルに着こなすのもオシャレだ。カーゴパンツ等の軍パンと組み合わせると、ワイルドで、ラフでありながらも、シックで上品で粋なイメージになる。

 ベーシックなものを買う時は、安物を買わない方がいい。安物を三着買うのであれば、高級なものを一着だけ買った方が得策だ。その方が飽きないし、結果的に長持ちすることになる。イタカジに挑戦してみたい人は、まず最初にイタリアブランドのホワイトシャツを買ってみることだ。それから本格的にアルマーニ等のスーツを買ってみてほしい。

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2008年7月22日 (火)

ジーンズの値段と価値

 今は誰でもジーンズをはいているが、70年頃はマイナーブームした程度で、ほとんど見かけなかった。中学や高校のクラスで、男の子が一人か二人だけ着用していた。ジーンズをはいている女の子はゼロに近かった。

 ジーンズそのものが高価だった。当時はリーヴァイス、リー、ラングラー、エドウィンの4大ブランドのジーンズしか売っていなかった。1本が4千円前後で、今の貨幣価値に直せば、1万円ちょっとくらいになる。何よりも日本の経済が発展途上中だったので、そんな贅沢品には手が出なかった。若い人には信じられないだろうが、1ドルが360円の時代だったのだ。

 ところが最近では、スーパーへ行けば2千円でもジーンズが買えるようになった。もちろん量販店向けの安いジーンズである。2千円のジーンズでも、二年程度は長持ちしてくれる。3千円も出せば、かなりしっかりとしたジーンズが買える。ユニクロで4千円以上出せば、デザイン性もあって生地も丈夫だ。

 他人のはいているジーンズほど値段の判別が難しいものはない。特に女性の場合は、例え3千円のジーンズであっても、スタイルが良くてうまく着こなしていれば高く見える。まさにコーディネートのうまさがジーンズの価値を決めるといって過言じゃない。最近は七十代の年寄りもジーンズをはいている。中には高そうなジーンズをはいているジイちゃんも見かける。しかし一つもカッコいいとは思わない。

 1本100万円のヴィンテージ・ジーンズを買う人間もいる。そうなってくると、貴金属を買うときの心理と似てくる。ようするにマニアになってしまうのだ。高けりゃ高い程、彼らにとっては値打ちがあるのだ。おそらく、100万円のジーンズをはく気にはならないだろう。部屋の壁にでも吊るして、それを眺めながら満足しているんじゃないだろうか。

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2008年7月19日 (土)

2000年代のファッションの流れ

 時代が変われば、美しいと思えるバランスも変わってしまう。80年代のバブル期から長く続いた女の子のボディコンに代表されるコンサバティブなセクシー・ファッションが終わり、そして2000年代に突入した。90年代末にはガングロ・コギャルが突然変異のように出現したが、都会の異端児的な存在で終わってしまった。

 2000年代に入って、男の子はズボンをズリ下げ、眉を剃ってピアスをした。そうしたヒップホップのストリート系も、2007年には見事に消えてしまった。女の子のルーズソックスも同じように姿を消した。そして今、男の子はノーマルで保守的でもあるアイビー、プレッピーといったアメカジのファッションを受け入れた。女の子も、可愛くてフェミニンでノーマルなアイテムを好んで身につけ始めた。ワンピースの定着が女の子っぽい可愛さの追求を後押ししているのだろう。

 大人の女の場合はどうだろう。ワンピースという新しいアイテムによって、フェミニンで上品でフォークロアなムードを演出することが可能になった。その他に、少年のスポーティーさを同居させたセクシーさと活動的なイメージをプラスしたファッションが定着している。

 大人の男性の場合は、大きな変化はない。一つだけあるとすれば、ヤンキーっぽいアウトロー的な男たちのファッションの変化だ。30代から40代の元ヤンキーたちは、何故か似通った傾向を見せている。普段着にスーツを着用することだ。イタカジ風ダークスーツにノー・ネクタイで開襟シャツ。へたするとヤクザに見えてしまう。もしかしたら彼らは、遊び人っぽいファッションをやめて、ダンディーさを追求し始めたのかもしれない。長い間、不良でアウトロー的イメージのあったロックンローラーの矢沢永吉が、超一流のSONYのCMに出るようになった。そうした新しい時代の流れと、中年世代のアウトローたちの変貌が、どうしても重なって見える。

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2008年7月17日 (木)

米国の不景気とアパレル商品

 最近はアメリカの不景気、石油の高騰、食品等の物価高もあって、日本のアパレル関係は先行きが不透明になりつつある。衣食住の中では、なんたって食が大切になってくる。着るものは後回しにして、食事を優先させるのが世の常である。その所為か特にブランドものは売れなくなってしまった。

 それでも本当に高級なものは、車にしてもマンションにしてもファッション・ブランドにしても売れつづけている。金持ちには多少の物価高は影響しないのだ。それとは逆に、経済力と購買力のない若者たちにとっては、かなりの影響があるみたいだ。

 ワンピースのブームもあってか、最近の女の子のファッションがおとなしくなった気がする。どちらかと言えば、ワンピースはお嬢様っぽくてノーマルなアイテムだ。不意に世界中を巻き込んだ不景気な時代の流れと、見事にマッチしてしまった。それに同調するかのように、男の子たちのファッションも地味目になった気がする。少し前のルーズなストリート系とは違ったノーマルなカジュアル・ファッションが主流になってきた。そういう意味でファッションは、敏感に時代の流れを反映するのかもしれない。

 いくら原価が高くなっても、定価を高くすると商品は売れなくなってしまう。そうなると手抜きをするしかない。最近の量販店向けのアパレル商品、特にTシャツの手抜きはひど過ぎる。生地は薄くて悪いし、プリントのデザインもインクも悪い。そんなものが2000円で販売されているのだから。三年間着られるものを買うとなったら、最低3000円を出さなきゃならない。それでも安物をたくさん買うよりは、少し高価なものを選んで買った方が賢明だ。

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2008年7月16日 (水)

イタカジが似合う闘莉王

 メンズ・ファッションの中で一番カッコいいのは、何と言ったってイタカジだろう。そのかわりに着こなすのが難しい。アメカジの場合は、少しだけセンスがあれば、誰だってそれなりに着こなすことができる。それこそ高校生でもサマになる。

 結論から言ってしまえば、平べったい日本人の顔にイタカジは似合わない。そうした理由で、若い日本人男性がイタカジを着こなすのは難しいと思う。しかし中年になって渋みとかダンディーさが全身からにじみ出るようになれば、話は別なのである。と言っても、ダンディーな日本人というのは、本当に数えるほどしかいない。大半の日本人男性は、中年世代になると、ただのオヤジに成り下がってしまう。

 比較的若い世代でイタカジが似合う日本人男性って、本当に少ないよね。真っ先に頭に浮かぶのはサッカーの闘莉王だけど、彼の場合は母親がイタリア系ブラジル人だから当然のことだ。それでもサッカー選手の中には、何人かイタカジ系がいるみたい。それに比べて野球界にはイタカジ系がいないよな。そう言えば日本ハムのマイケルって、イタカジが似合いそう。他にはまったく思い当たらない。阿部寛に似た巨人の木佐貫あたりも、もしかしたら似合うかもしれない。まあ、そんなとこだね。

 昔の日本人は、イタリア人のことを「イタ公」と呼んでいた。アメリカ人のことは「アメ公」だった。日本人に似て背の低いイタリア人に対して、けっこう愛着を感じていたのだ。そういう意味で、イタカジがもっと日本でブレークしてもおかしくない。これからの若い人たちが、新しいセンスでイタカジを着こなす日が、きっと来るような気がする。

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2008年7月14日 (月)

爆笑問題のファッションは光る?

 プレッピー、アイビー、ネオトラッドといったメンズの大きな流れがある。タレントや有名人の中で一番センスがいいのは、ビビる大木だと思う。新しいアイビースタイルを見事に着こなしている。二番目は山咲トオルじゃないだろうか。彼の場合は、全部がプレッピーじゃなくて、まったく違ったタイプの帽子などをアクセントにして、うまく組み合わせている。

 三番目はプレッピー風のSMAPとアイビー調の郷ひろみ。グッチのチェック・スーツを着ていた時の郷ひろみは、いろんな意味でインパクトがあった。本来、グッチのスーツのシルエットはゆったりとしていて、ホストが好んで着ている。そんなグッチがアイビー調のチェックスーツを販売するなんて、夢にも思わなかった。それを世間に知らしめたのが郷ひろみだったのだ。

 さてさて、これからが本題みたいなもの。漫才の爆笑問題のステージ衣装は、ネオ・トラッドそのものだ。どちらかと言えば地味な衣装であるが、じっくり見てみると、なかなかセンスがいい。特に小柄な田中の方は、けっこうオシャレに敏感そうだ。太田のセンスも悪くないが、顔が渋いので衣装も沈みがちである。そんな太田の渋くて暗い色合いを考慮して、いつも田中が明るい色を身につけている。そうした田中のバランス感覚とセンスに感心させられる。同じ漫才のくりぃむしちゅーも、昔のトラッドやコンチネンタル・スーツに似た衣装を着ている。いつも黒っぽいダークカラーのスーツとネクタイだが、それが逆にオシャレに見える。

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2008年7月11日 (金)

秋葉原の新名所「巫女カフェ」

 何かと話題になっている秋葉原。例の事件以来、コスプレの人数はいっきに減少した。以前ならグループでコスプレをエンジョイしていたのに、最近は一人淋しくアキバを歩いている。どうやら大半がコスプレをやめたみたいだ。

 そんな秋葉原に、新しいカフェが誕生したらしい。ネットの情報で知ったことなので、詳しいことは知らないのだが。それは巫女(みこ)カフェという名前で、神社の巫女の姿をした若い女性が、客の接待をするらしい。神社と同じ白い和服と赤いハカマを着た娘が、メイド喫茶とは違うサービスをするのだそうだ。

 はっきり言ってメイド喫茶は嫌いだった。客のことを「ご主人様」と呼ぶことに対する不快感と抵抗感があったからだ。すると巫女カフェの場合は、客のことを何て呼ぶのだろう。まさか「神様」じゃないだろうな。ほかに思い当たらないけど、その点はどうなっているのだろう?

 もしかしたら「おみくじ」なんかを売っているのかな。そうだとしたら、全部が大吉でなければ客は納得しない。ちょっとしたアトラクションが行なわれるそうで、少しは興味があるけど、行ってみたいとは思わない。そのうちテレビの報道番組あたりが、巫女カフェのことを取材するに違いないので、その時までのお楽しみということにしよう。

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2008年7月10日 (木)

大阪で発見!スケ番ロングスカート

 遂に発見!スケ番のロングスカート!場所は大阪の弁天町。さすがに元祖ヤンキーの大阪だと再認識させられた。その女子高生は、友だちの同級生らしき女の子と二人で歩いていた。同じ学校の制服だけれど、友達の方はミニスカートにしていた。一方の女の子は、同じ柄のスカートを超ロングにしてはいていた。紺と濃グリーンの大きなチェック柄の裾が、靴の上まで見事に伸びていたのだ。

 過去のいろんな流行が復活しているのに、スケ番のロングスカートだけは消えたままだ。おそらく復活することは無いだろうと思っていた。ところがドッコイ。大阪のごく一部の女子高生の間では、復活していたのだ。スケ番といっても、昔のような不良とかワルの部分は消えているようだ。どちらかと言えば硬派な感じの女の子が、新しいファッションとして復活させたみたいだ。

 大人の女性の間では、最近マキシ調のロングスカートがリバイバルしている。そうした傾向や流れの中で、女子高生のロングスカートも復活してきたのかもしれない。昔のスケ番は恐かったが、先日、大阪で見た女子高生は、それほどワルな感じはしなかった。

 大阪の弁天町は、東京でいえば、墨田区の錦糸町あたりに似ている。都会と下町が入り混じった街で、女子高生のロングスカート姿が見事に溶け込んでいた。本当に大阪は面白い所だ。昔からユニークなファッションの土壌がある。

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2008年7月 8日 (火)

アクセサリーで性格が見抜ける

<ブレスレットの好きな人>

とても活気があり、活力に満ちている。賢明な人が多く、なんらかの特技を身につけていることが多い。人生の目的が明確で、全ての面で積極的な対応をする。

<イヤリングの好きな人>

どちらかといえば、自己顕示欲が強い。自分の価値を他人に認めさせたくて、他人から注目されることを好む。早い話が、他人の目を気にする性格。ピアスの好きな人も、少し似たところがある。

<大きめの宝石の好きな人>

悪くいえば見得張りで、自分をひけらかすのが好きで、他人の視線を常に意識している。だからと言って悪い性格でもない。楽観的で、積極的で、情熱的なだけである。

<ブローチの好きな人>

ブローチの好きな人は、だいたいがお洒落好きだ。コーディネートに気を配り、第三者から見た自分のイメージを気にするタイプである。性格面でも同様のことが言える。人間関係では慎重に対処し、軽率な言動をつつしむ。例え親友同士であっても、少しは遠慮をしながら交際をする。恋人に対しても同じように距離を置いて付き合う。

<小さめの宝石の好きな人>

真珠のように目立たなくて小さい宝石の好きな人は、どちらかと言えば内気。謙虚で慎ましやかで、どんな時にも穏やかな性格。他人の目を意識せず、自分に素直にのんびりと生きていくタイプ。

<民族風アクセサリーの好きな人>

どちらかと言えば、個性の強いタイプ。あらゆる面で他人と違ったものを好み、独自のポリシーを持ってマイペースに行動する。

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2008年7月 6日 (日)

再結成されるCCBのファッション

 あの伝説のバンドのCCBが再結成されるそうだ。彼らの凄いところは、音楽性だけじゃなく、ファッションセンスも飛び抜けていたことである。彼らの全盛期は85年頃で、ジャパニーズ・ファッションが世界進出を始めた時期でもある。メイド・イン・ジャパンのシティー・ファッションに身を包み、高い音楽性を武器にして活躍した。

 C-C-Bはココナッツ・ボーイズを略したもので、1980年代に大活躍した日本のロックバンドである。ワインレッドなどのカラフルに染めた髪で話題をさらった。YMOのテクノファッションと、それ以降のジャパニーズ・ファッションの接点の時代といっていい。シングル「Romanticが止まらない」が大ヒットした。その後ポップス系で次々とヒットを飛ばしたが、本来はロック色が強いバンドだった。

 最初はカラフルな髪の色や白いフレームのメガネなどが目立ち、ユニークバンド扱いをされたが、演奏能力も歌唱能力も高度で、バンドとしての評価は高かった。そんなCCBが2008年に正式に再結成されることとなったのだ。考えてみれば、あれから20数年が過ぎたことになる。どんな風にイメージチェンジするのか、すごく楽しみだ。ココナッツ・ボーイズも中年になってしまったのだから。そういう意味で、彼らのファッションに注目してみたい。昔のイメージを残しながらも、渋みを演出したCCBのステージ衣装に期待している。

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2008年7月 5日 (土)

ロト6で三億当たったら何を買う

 「ロト6で3億二千万円当てた男」というテレビドラマを見た。実話をドラマ化したらしい。ドラマを見終わってから寝るまで、3億二千万円のことが頭から離れなかった。もしも自分に3億が当たったら何を買うだろう?本気でそんなことを考えてしまった。ドラマの話だと思いつつも、ついついその気になってしまったのだ。

 3億もあれば欲しい物は何でも買える。アルマーニだろうが、グッチだろうが、アバクロだろうが。それこそ、1千万円もあれば充分だ。逆に、買いたいものが思い浮かばない。お金が無いから、そうしたブランドものに憧れるのであって、実際に3億も手に入れたら、それほど欲しいとは思わなくなる。そんな気がしてならない。いつでも買えると思うと、そうしたものに興味がなくなってしまうんじゃないだろうか。それより3億を貯金して、今までと同じ質素な生活を続ける方が幸福かもしれない。

 例えば、子供の時、死ぬほどお菓子を食べたいと思った。しかし、大人になったらほとんどお菓子を食べなくなった。買う気になればいつでも買えるからで、決してお菓子が嫌いになったんじやない。ブランド製品も、それと同じことが言えるんじゃないだろうか。いつでも買えると思うと、興味がなくなってしまうような気がする。少ないお金の中で、苦労して服を買うからこそオシャレが楽しいのである。無理して貯金をしてブランド製品を買うからこそ、うれしいのである。

 ココから先は大人の話なんで、若い人は無視してほしい。ドラマの中で、一つだけデタラメなことがあった。一人六万円も払うような高級クラブなのに、反町隆史たちに同席したホステスは、二人とも田舎のOLみたいなイモ姉ちゃんだった。絶対にそんなことは有りえない。高級クラブのホステスは、みんな都会的な美人ばかりだ。だからこそ、高いお金を出して飲みにいくのである。

それは別にして、久し振りに大人が楽しめる面白いドラマである。どうやら、高級クラブの新米ホステスが、重要な役割を果たすみたいだ。次回も忘れずに見ることにしよう。


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2008年7月 3日 (木)

「おどるポンポコリン」とボディコン

 BBクィーンズの90年代のステージを久し振りにテレビで見た。トンボめがねをかけたボーカルの女は、何度見ても本当に派手派手な衣装で笑わせてくれる。隣でギターを持った胡散臭い山高帽子のオヤジも、だみ声を出して楽しませてくれる。当時はバブルがはじけて、日本経済がメチャクチャになっていた。そんな時だからこそ、おどるポンポコリンがブレークしたのだろう。ピーヒャラ!ピーヒャラ!と馬鹿騒ぎをして、苦しい生活を一時的にも忘れようとしたのだ。

 当時はまったく気にもかけなかったけれど、バックコーラスの三人娘は、なんと過激なボディコン姿だった。ヘソ出しギャルもいれば、超ミニのギャルもいる。まるでジュリアナ東京のボディコンギャルみたいに、腰をクネクネさせて踊り狂っている。懐かしい!とテレビに目が釘付けになった。これなんだよ!大阪ではイケイケギャルと呼ばれたファッションなのだ。当時のことを思い出しながら、自分も思わず歌ってしまった。「ピーヒャラ!ピーヒャラ!おどるポンポコリン!エジソンは偉い人。そんなの常識。ブタのプータロー」

 まったく馬鹿みたい。こんな歌が流行るから、日本はダメになってしまったんだ。矢沢には分かります。だけどボディコンはベリー・グー!!!

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2008年7月 2日 (水)

浮世絵Tシャツが面白い

浮世絵Tシャツが面白い。一般的なラバープリントとは違い、染まった生地から地色を抜き、モチーフ一色一色を違う色で染め抜いたTシャツです。ラバープリントというのは、ゴムのように厚めに固まったプリントのことです。普通なら地色の上にそのままプリントしてしまうのに、地色を消してからプリントしてあります。

顔料と抜染技術を駆使して ラバーインクのプリントでは表現できない、独特な雰囲気と高級感のある逸品です。
モチーフ部分は生地に染めあげる感覚でベタ感が全く無く通気性にすぐれサラッとした仕上がりで、外国の方へのお土産にも抜群の人気です。

「和柄」は雑貨・小物・衣類など種類も幅広く、海外の方からお年寄りにも喜ばれるのでプレゼント・贈り物にもお土産などにも最適デス!!

ら・さらの商品は東日本、特に関東・東北エリアで売れ行きが高いです。特に千葉県、栃木県、埼玉県、東京23区以外、新潟、仙台が特に高いエリアです。千葉県では外国人の方に人気です。ホームステイのお土産などにもすごく愛用されています。

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和柄Tシャツ「らさら」へアクセスしたい方は、右サイドの「浮世絵Tシャツ」のバナーをクリックするか、下記をクリックしてみて下さい。


浮世絵Tシャツ「らさら」

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2008年6月28日 (土)

今年もTシャツの図案をたくさん描いたぜ!

 今年も仕事でたくさんTシャツの図案を描いた。といっても、小さいメーカーの大衆向け商品ばかりだ。「中学生から大人まで着られる、アメリカ調のデザイン」という指示が、発注書に書いてあった。そこで、アメカジを少し意識しながらも、派手になりすぎずにオーソドックスなデザインを心掛けた。

 有名ブランドのデザインと違って、小さいメーカーの場合は有りふれたクセの無いデザインをしなければならない。Tシャツなら1000円から2000円。トレーナーなら2500円から3800円くらいの商品だ。スーパー等の量販店で売られることが多い。

 以前にも書いたことがあるけど、こういうケースでは、アメリカの地名をそれらしくデザインすることが多い。それが一番簡単なんで。しかしNew Yorkは首都なので有名すぎてダメである。日本でいえば、長野や福岡や岡山や北海道あたりの地名を選ぶことにしている。例えば、シンシナティー、ニューオリンズ、デトロイト、カンサスシティーといった地名の英字をそれらしくデザインする。これで完成だ。買う方もアメリカの地名なら抵抗がないらしい。

 デザイン料はピンからキリまである。会社が小さいほど安いのは当然だ。下請けのデザインの相場としては、1万円から2万円程度で、デザイン料が高ければ高いほど時間をかけてデザインする。先日、デザイン料の最低記録を更新した。レディースのカットソーの花柄刺繍の図案を、大阪阿倍野の刺繍屋からオーダーされた。Vネックの周辺にレースっぽい花柄を刺繍したものだ。場所が遠いので、工賃に関しては打ち合わせをせずに、花柄を七枚描いた。安くても一枚七千円になるだろう、と勝手に思い込んでいた。しかし、実際に先方から受け取った工賃は、一枚千五百円だったのだ。確かにショックだったけれど、工賃を確認しなかった自分が悪いのである。長いこと下請けのデザインの仕事をやっていると、工賃の相場が頭にインプットされていて、改めて確認することを忘れがちになる。自分のセンスを安売りしたことが、何よりも悔しかった。

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2008年6月24日 (火)

浜崎あゆみとアバクロと「博多すいとうばい」

 全国ツアー中の浜崎あゆみは、「マリンメッセ福岡」でライブを行うため、出身地である福岡県に帰郷した。そのことをブログに書いている。

「帰郷しました~
とは言っても、もう既に、人生の半分以上を
東京で過ごしている私なのですが、、、
やっぱり、地元は地元なのだ!!!
なんか、あがるねっっっ
明日は、博多弁バリバリのMCでいかせて
いただきやすっ」

「オフのスイッチが入ると、標準語が話せなくなる
のだ~~~~~~。Why?????」
「楽しみにしとうけんっ
博多ラーメン。
やなくてっ(笑)!!!
マリンメッセ待っときぃよぉ~~~~~~
九州女の力、ちかっぱ発揮するけんね~~~!!!」

どうやら、あゆは仕事以外では博多弁を話すらしい。

あゆと博多とアバクロには深い関係がある。あゆの愛用しているのがアバクロで、それを「博多すいとうばい」が通販で販売している。ところが最近、博多すいとうばいにトラブル続出しているらしい。偽物を販売しているといった抗議がたくさん掲示板に書き込まれている。真偽のほどは定かでないが、以前からアバクロのネット販売に関しては、偽物疑惑が後を絶たなかった。それは日本に正規の代理店がない所為で、偽物を密造して販売しやすいからである。本物はとんでもなく高額なので、安い値段のものは、大半がコピー品と疑ってかかった方がいいだろう。オークションでトラブルが多いのもアバクロなのである。

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2008年6月23日 (月)

90年代から日本のファッションが変わった

 90年代の日本を振り返ると、人々の興味が服以外のものへ多様化し、「しょせん服は服」という連中が増加した。特に若い世代は、携帯電話やインターネットやゲームに対する関心が高く、ファッションに対する熱が冷めている。昔なら衣食住といった人間生活の三つの柱だった「衣」に対する考えが変わりつつあるのだ。他にももっと関心のあるものが存在するようになり、それほどオシャレにのめりこまない。その傾向が現在に受け継がれている。

 だからといってファッションが地味になったわけじゃない。コギャルたちでもメークをしてセクシー系の服も着る。逆に派手になったくらいだ。昔ならファッションにのめりこんでいる一部の人間しかチャレンジしなかったことを、普通の女の子が平気でやってのける。オシャレにそんなに夢中にならないけれど、イザとなったら派手なカッコウを平気でするのだ。

 昔に比べれば、格段にファッション・センスが良くなった。昔と違ってファッション情報が溢れ返っている。昔なら苦労して自分で見つけなければならなかったのに。昔の歌手やタレントは、本当にセンスが悪かった。一般のオシャレな人間の方がセンスが良かった。アイドルだってルックスだけがイケメンで、服のセンスは悪かった。ということは、当時のスタイリストのセンスが悪かったことになる。

 80年代になってテクノ・ファッションのYMOが現れ、ニューミュージックと呼ばれたたシンガーが登場する頃から、日本の歌手もセンスが良くなった。それでもアイドル系のセンスはイマイチだった。特に女のアイドルは、はっきり言ってダサかった。ロック系のバンドも欧米のロックバンドのコピーで、本物に比べればセンスが悪かった。そんな中、ハイセンスな米米クラブがデビューし、その頃から日本人のファッション・センスも格段に良くなったのだ。

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2008年6月20日 (金)

復活するボディコン

 2008年現在、ボディコンがハイファッションとして復活しつつある。1990年代初頭のボディコンと違って、過剰で攻撃的な派手さは無く、美しく保ったボディーラインを健康的に見せるといったファッションに変わった。新しいボディコンは、以前のイケイケギャルみたいな過激なものとは別のものである。

 1981年のミラノ・コレクションで、身体のラインに添ったデザインのドレスが発表された。これがボディ・コンシャススタイルの始まりである。日本ではボディコンと呼ばれ、ピンキー&ダイアンなどに代表される DCブランドが、極端にシルエットをシェイプアップしたスタイルのボディコンファッションを作り出した。それが日本では主に遊び着ファッションとして広まり、1980年代のバブル期の最後に一大ブームとなった。それまでのファッションの流れであった、ルーズなシルエットやビッグ・シルエットの服の流行に飽き足りなかった女性に、この流行が飛び火してブレークした。

 東京・芝浦のディスコのジュリアナ東京には、ワンレン・ボディコン・爪長・トサカ前髪、といったファッションの女性が集まり、毎晩、ジュリアナ扇子を持ってクネクネ踊りを続けた。ブームが去っても、キャバクラなどのお水や、レースクイーンなどのファッションとして残っている。

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2008年6月19日 (木)

「オバン」はいったい何才から?

 自分の年齢を気にした40代の独身女性が、周囲の人間にオバンの年齢を確認するといった新聞のマンガがあった。顔が見えないネット仲間には、正直な年齢を言わずに秘密にしている。「ちょっとだけオバンなの」と言って年齢を誤魔化している。すると35才の女性が「私の方がオバンだわ」といってなぐさめてくれた。自分より10才程若い女性のそうした言葉を聞いて、40代の独身女性は愕然としたのである。

 それを機に、周囲の仕事仲間にもオバンの年齢を確認した。すると「30才くらいかな」「25才くらいじゃないの」と、どんどん若くなってしまった。尋ねる相手の年代によって、オバンの年齢も違ってくる。それは当然のことで、子供たちの目から見れば、高校生でも大人に見えるのと同じだ。

 結論から言えば、20代の半ばを過ぎたら年齢のことは気にするなってこと。30代になったら開き直るしかない。40代になったら、あきらめるしかない。若さが無くなったら、テクニックで勝負するしかないんだ。ファッション・センスとか、お金の力で、若さに対抗すればいい。昔の日本には、年増<としま>と言ういい言葉があった。娘と年寄りの間に年増がいて、それなりに存在価値があったのだ。男だって、オジンじゃなくて、旦那<だんな>って言葉があった。オバンだから、オジンだから何が悪い!?と皆で開き直ろうじゃないの。「矢沢、分かります」「はるみも分かります。オバン、グー!」

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2008年6月18日 (水)

SPEEDO社水着の唯一の難点

 最近、にわかに注目されているのが、SPEEDO<スピード>社の水着である。先日、ニュース番組の中で、SPEEDO社の水着をコムデギャルソンがデザインする、と報道していた。しかし、その後は全然話題にならない。ネットで調べても、何処にもそんな記事は見当たらない。残念ながら真相は定かでなくなった。

 ミズノは長年にわたり、アジアでのSPEEDOブランド商品の企画・製造・販売契約をしていた。しかしミズノは 2006年の創業100周年を迎えたのを機に、自社ブランドによる世界戦略を強化するという方針を明確にし、SPEEDO社とのライセンス契約の更新をしなかった。ミズノ時代のSPEEDO社は北島康介ら日本のトップ選手とも契約していたが、そうした契約は全てミズノに引き継がれてしまったのだ。

 2008年の北京オリンピックシーズンに向けて投入された新水着LZR RACER(レーザー・レーサー)を着用した選手が、次々と世界記録を更新した。日本でも6月ジャパンオープンでこの水着により15個の日本新記録、1個の世界新記録が生まれている。LZR RACERはアメリカ航空宇宙局の協力を得て開発されたもので、縫い目が無いのが特徴で抵抗が軽減され、撥水性にも優れている。

 この水着に唯一の難点があるとすれば、着用する難しさじゃないだろうか。聞いたところによると、選手は10分ほど全裸になったままで、数人の手を借りながら四苦八苦してなんとか着用できるそうだ。締め付けがきついので、あまり早く着てしまうと体力をかなり消耗してしまうらしい。全身の水着の場合は、相当な体力の消耗になってしまうのだろう。

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2008年6月17日 (火)

アメリカ村「落書きSANTA」有罪

 大阪のアメリカ村周辺で店のシャッターにカラースプレーで落書きしていた男が捕まり、先日、裁判所の判決が下された。執行猶予がついたものの、200万円程度の損害に関しては、賠償をしなければならないはずだ。犯人の24才の男は、実生活の欲求不満やストレスを発散させるために落書きをしたと供述している。SANTAが逮捕されてからも、時おり誰かが真似をして落書きをしているらしい。アメリカ村の店主がそう言っていた。

 SANTAにとっての落書きは、あくまでイタズラの範疇に入ったものであり、もしかしたら犯罪行為という認識は薄かったのかもしれない。しかし、イタズラも度が過ぎると、今回のような裁判沙汰になってしまうのだ。幸いにも殺傷事件ではなかったので、損害賠償で片がついたということだ。アメリカ村は服を買う場所で、けっして遊び場じゃない。店の人間にすれば、生活がかかった大切な場所である。200万円もあれば、どれだけたくさんの服や物が買えるか?!それを考えた時、きっと犯人は後悔するに違いない。賠償額の大きさで、自分の犯した罪の重さを実感してほしい。そして本当の大人になってくれ!

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2008年6月15日 (日)

LAアメカジに飽き飽きしたNYアメトラ派

 デザイナー・トムブラウンの成功によって、一気にNYファッションが活気づいた。そしてアメトラが世界的なムーブメントとなった。長い間、ヨーロピアンが主流だったメンズ・ファッション界に、やっとのことでアメトラブームが到来したのだ。現在のNYでは、トムに続く新しいデザイナーが次々と出現している。そうした実力を備えた若手の台頭によって、アメトラ人気が本格的にブレークし始めた。

 トムのデザインの原点は「50年代後半のアメリカの服」だそうだ。日本でもアメリカン・トラッド、オーセンティック・アイビーと言う名で定着した。「ラルフ・ローレン」「ポロ」といったブランドが当時のブームの中心にあった。ここ数年のプレッピー・ブーム人気は、二つのブランドの影響力が大きい。このブランドなしに現在のアメトラは語れない。

 着心地がいいだけの西海岸発のアメカジに飽き飽きしているニューヨーカーたち。そうしたニーズに後押しされて出現したのが、トムブラウンだったのだ。過激なまでに体にフィットするジャケットや裾の短いスリムなズボン。それはスーツを普段着として着ていた50年代後半の男たちの服そのものだった。それにヨーロピアンなものと今風なデザインを付け加えて新しいアメトラを完成させた。

 そうしたアメトラの服が、次から次へと日本の市場にも出回り始めた。そんな中で特に注目しているのは、新しいタイプのポロシャツである。古いタイプのポロシャツとは、まったく違ったシルエットとデザインのものが販売されている。ポロシャツと言えば堅苦しくて保守的なアイテムだったが、新しいものには驚くほどの自由さと遊び心がある。どっちにしても、アメトラの復活は大歓迎。二三年前までは時代遅れだったスリッポンやデッキシューズやローファーの靴が、トレンドなアイテムに変わってくれたのだから。本当に捨てずに残しておいて良かったと思う。

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2008年6月14日 (土)

ギャルとコギャルとサザエさんの90年代

 秋葉原の通り魔事件をきっかけに、ナイフの規制が検討されている。そう言えば十年前の98年に、少年によるナイフを使った障害事件が多発した。全国で10件の事件が起き、中でも警官が十五才の少年に刺された事件は問題になった。この頃、キムタクがテレビドラマ「ギフト」の中でバタフライナイフを使用しており、その影響を受けて所持していたとみられた。あれから、もう10年が過ぎてしまったのだ。横浜ベイスターズが38年振りに優勝した年だった。

 90年代はCD発売、携帯電話、インターネットが始まった時期で、生活面では今とあまり大きく違っていない。しかし、携帯電話とネットが普及したことで、2000年代の人間の心は、より複雑怪奇になった気がする。携帯サイトの書き込みのイジメやネット犯罪なんて、当時は考えられなかったもの。そういう意味で、まだ単細胞の人間がたくさん存在していた90年代が懐かしい。

 91年から94年。超ミニの過激なボディコン姿のギャルたちが、羽のついた大きな扇子を片手に乱舞していたのが、ジュリアナ東京のお立ち台。その高さは、120cm。台の下には、ギャルを見上げる男たちが、いつもたくさん集まっていた。ワンレンの長い髪を振り乱し、体をクネクネさせて踊り狂うギャルたちは、まさにヒステリック・グラマーの集団。実生活のストレスや不満をクネクネ踊りで爆発させていた。そうしてフラストレーションを発散させていたのだ。違う言い方をすれば、ストレスそのものが単純だった最後の時代だと言える。

 90年代日本中に出現したのはコギャル。茶髪を越えた白髪、顔黒、超ミニ、ルーズソックス。女子高生というより猿人のような容姿のギャルたちだった。今となれば、とても懐かしい。92年に発売された「磯野家の謎」はサザエさん一家を分析してベストセラーになった。そして「ドラえもんの謎」「セーラームーンの謎」といった謎本が続けて出版された。ノストラダムスの大予言で、1999年に全世界は終わることになっていた。少しは恐怖感を持ちながら迎えた2000年だったが、天地は何も変化することなく、あっという間に2008年になってしまった。

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2008年6月11日 (水)

秋葉原を変えたのはコスプレ

 いつの頃からか、秋葉原はコスプレの聖地になってしまった。コスプレのマニアたちが、あちらこちらからアキバに集まってくる。アキバでなら、抵抗なく自由にコスプレを楽しめるという理由で。その所為で、秋葉原の電気街は大きく様変わりしてしまった。ほんの十年前までの地味で大人びた街が、若いコスプレの遊び場になってしまった。

 コスプレそのものは否定しないが「もっと遠慮してくれ!」と言いたい。中にはコスプレが嫌いな人間だっているんだから。とにかくコスプレが似合っている人間を見たことない。はっきり言って、できの悪い仮装大会だ。そんな姿を軽率に人目にさらさないでほしい。自分達だけで、こっそりと楽しんでいればいいいじゃないか。どうしても通行人のいる所でやりたいなら、ファッション街の原宿辺りでもいいと思う。それが人間社会の最低限のルールでありマナーというものだ。

 チェーン店などの大店舗は、もしかしたら賑やかな方がいいかもしれない。しかし地元の小さい商店主さんたちは、街が変わって本当に迷惑している。電球や電気コードだけを売っている専門店にとって、街の客層が若い遊び人に変わることはマイナスでしかない。従来の客筋が逃げてしまうからだ。もしも先日の通り魔のような事件が度重なると、みんな敬遠してしまうだろう。

 メイド喫茶がアキバのコスプレの走りということになる。メイド喫茶だけは実に馬鹿らしくて未だに理解できない。どんな職種であっても、それなりのプロ意識みたいなものを感じるけど、メイド喫茶だけは遊び半分としか思えない。そうした遊び半分のチャラチャラしたアキバの空気が、通り魔事件を誘発したような気がする。

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2008年6月 9日 (月)

木村カエラと木村拓哉がファッションリーダー

 高校生が選んだファッションリーダーは木村カエラと木村拓哉だそうだ。現役女子高校生を対象にオリコンがアンケート調査を行ったところ、1位に輝いたのは木村カエラだった。同時期に男子高校生を対象に行った男性のファッションリーダーの調査では、木村拓哉が1位を獲得。「何を着てもカッコイイ」と、相変わらずのキムタクの人気ぶりをみせた。

 木村カエラって、すごく個性的で奇抜で、とにかくオリジナリティーのある存在だ。一度見たら忘れられない顔ってあるけど、まさにそんなタイプだ。そんな彼女が女子高校生の1位になるのは、ちょっと意外な感じがする。あまりにも個性が強すぎて、一般受けしないんじゃないかと思うのだが。それだけ、個性やオリジナリティーに対する憧れが強いってことなのだろう。

 そうした女子高生に比べ、男子高校生が選んだキムタクは、個性面じゃなくて、あくまでカッコ良さが選択基準になっている。ということは、男子高校生が求めているものは、個性じゃなくてカッコよさってことだ。男子と女子では、フアッションに対する考え方や、アプローチの仕方が違うので、当然の結果と言えるのかもしれないが。

 女子高生が選んだ2位には同率で浜崎あゆみとベッキー 。4位はモデルの田中美保だった。男子高生が選んだ2位はL’ Arc~en~Ciel【hyde】で、3位はKinKi Kidsの堂本剛。そして速水もこみちと、オダギリジョーが選ばれたそうだ。大人っぽいオダギリジョーが選ばれたのは意外な感じがする。最近の男子高校生は、渋さやダンディーさが分かるのだろうか?! 

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2008年6月 7日 (土)

「ガイ」は渋谷発の言葉とトレンド

 また新しい言葉が渋谷で生まれた。「ガイ」というのがそれである。「ガイ」というのは 109系ギャルの彼氏のことだそうだ。この夏、メンズカジュアルでは4年ぶりのサーフブームになっている。ガイは、サーフファッションの男性が集まる渋谷センター街の「ガイ」と「ナイスガイ」を掛け合わせた言葉らしい。とにかく今年は、サーフ系ブランドが売れている。といっても海外ブランドじゃない。109などで売られている国内のレディスサーフのメンズ版がトレンドになっているのだ。

 日本のサーファーファッションは、1970年代末から1980年代初頭にかけて流行した。代表的なアイテムは、サングラス、サーフウォッチ、Tシャツ、短パン、ビーチサンダル、シルバーのアクセサリーなどだ。この時期にサーファー・ブームに便乗して若者服の一大拠点となったのが、大阪のアメリカ村だ。そして1990年代後半の70年代ブームで部分的に復活し、一部はギャルファッション、お兄系にも大きな影響を与えることになった。1990年代以降のサーファーファッションには、茶髪やハーフパンツなども取り入れられた。

 陸(おか)サーファー という言葉が初めて登場したのは80年代前半。実際にはサーフィンをしない、ファッションだけのサーファーをこう呼んだ。今夏、サーファー・ファッションがトレンドの主流に返り咲くとしたら、この言葉も復活しそうだ。昔と同様に、サーフ・ファッション姿の99%がオカ・サーファーなのだから。

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2008年6月 6日 (金)

60年代・横浜のディスコで流行した服

 最近のメンズ・ファッションの動向として、コンチ系の復活があるんじゃないだろうか。コンチというのは、50年代から60年代にかけてブレークしたコンチネンタル・スーツのことだ。日本で流行したのは、アメリカン・コンチネンタルで、横須賀のアメリカ兵たちが本家のイタリアン・コンチネンタルをクロスオーバーさせたものだ。

 60年代というのは、ビートルズがデビューし、ロンドンではモッズ・ルックがブレークした時である。日本でもディスコに若者たちが集まり、ロックやソウル・ミュージックに合わせて踊り狂っていた。その中でも、横浜中華街にあったレッド・シューズというディスコは熱かった。客の大半がアメリカの黒人兵で、本場の乗りでダンシングしていた。

 レッドシューズに集まった横須賀のアメリカ兵たちのファッションが、当時の日本の若者に多大な影響を与えたのだった。彼らのアメリカン・コンチネンタルのスタイルが、ファッションに敏感な一部の日本の若者たちに受け入れられたのである。全体的にルーズなシルエットで、ベルトレスのマンボ・ズボンの裾を極端に細くして靴の上でだぶらせていた。ズボンの裾がルーズソックス状態だったのである。それに比べてウエストは太めにしていたので、全体的にずり下がった状態になった。その後「横須賀マンボ」という名前で流行し、それが関西に飛び火し「スカマン」という名前になったのだ。

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2008年6月 2日 (月)

パナマ帽とカンカン帽の復活

 今年の夏はパナマ帽やカンカン帽が注目されている。パナマ帽とは、中米原産のパナマ草を細かく裂いて天日にさらしたものを密に編んだ夏用の帽子。日本では、中折れしたパナマや麦わらなど夏素材の帽子の総称になっている。メンズではサスペンダーなんかと組み合わせれば、矢沢永吉じゃなくて、避暑地スタイルが出来上がり。

 帽子のトップが平らになっているストローハットをカンカン帽と呼んでいる。そうした夏向けの天然素材であるパナマや麦わらを使った中折れ帽とカンカン帽が、ファッショントレンドとして若い女性や男性の間で人気になっている。
 
 パナマ帽は、付属のリボンのデザインでイメージが大きく違ってくる。帽子の横に飾るコサージュを大振りの花にするだけで、とてもゴージャスに見える。見た目の涼しいイメージがほしいなら、レース素材のつば広パナマ帽がぴったり。目元を隠す感じでパナマ帽を深めにかぶるととてもお洒落に見える。パナマ帽とフェミニンなトップスやワンピースとのコーディネートは今年のトレンド。マニッシュなパナマ帽をフェミニンな服と組み合わせるのが今風で新しい。

 70年代後半にパナマ帽が大流行したことがあった。「エリック・クラプトン」や「チャー」といったロックミュージシャンがかぶっていた。他にはローリング・ストーンズもかぶっていたな。当時はメンズだけだったが、今回はレディースのアイテムにもなっている。
 
 逆に帽子の高さの無いカンカン帽なら、頭にちょこんと載せるように浅めに被るのがお洒落。大正から昭和の初期にかけて、カンカン帽は大流行になった。洋服でも和服でも小粋にカンカン帽を被っていた。そんなカンカン帽が、なんと80年振りに、やっとのことで復活しそうである。

 イチローはカンカン帽が似合いそうだな。パナマが似合うのは石井竜也。スマップだと、キムタクと稲垣がパナマ。他の三人はカンカン帽。チェック・スーツの郷ひろみと阿部寛はカンカン帽。もう切りがないので、この辺で失礼します。

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2008年6月 1日 (日)

客が気づかぬ「リメーク古着」

 大手の古着屋の買い付け場所は、大半がアメリカ。そこで問題になるのは、サイズの大きさ。はっきり言って一回り程大きい。アメリカのMサイズは、日本のLに相当する。となると、シャツもジーンズもその他のアイテムもサイズダウンしなければならない。そうしなければ売れ残ってしまう。場合によっては、メンズサイズのものをレディースサイズに変えることもあるそうだ。そんな場合は生地を裁断して縫い合わせなければならないのだが、古着を買った客はリメークされたことにほとんど気付かないらしい。

 欧米の古着が輸入されるようになってから、40年が過ぎようとしている。最初の頃は、サイズが原因で売れ残ってしまい、たくさんの在庫を抱えることになった。そうした状態は、古着屋にとっては死活問題だった。在庫のために新たな仕入れができないといった悪循環に陥るからだ。そんな古着屋のニーズがあって、リメーク屋が誕生したのである。

 単に古着を再販可能にするリメークだけじゃなく、新しい既成品に手を加えることで、よりファッション性を高めるリメークも始まった。メーカーや縫製屋等にある在庫にちょっとした付加価値を付け加えて、別の商品として販売するのである。そうしたケースはファッション・リメークと呼ばれている。いずれにしても、気づかないのは買った人間だけということになる。

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2008年5月28日 (水)

リサイクル・ショップの安いブランド品は本物!

 先日、テレビのニュース番組で、大阪鶴橋のブランド・コピー品密売の現場を撮影していた。その手口は、中国の場合と同じである。コピー品目当ての客が商店街の店に訪ねていくと、別のマンションの一室へ客を誘導するのである。するとそこには、グッチやシャネルやヴィトンやプラダやミュウミュウなどのバッグが並んでいた。専門家に鑑定してもらっても、本物とほとんど違わないコピー品だった。値段も本物の30%前後で、コピー品にしては割高だ。それだけ、作りがしっかりしているのだろう。

 コピー品といえば、二十年前までは韓国製だったが、今は大半が中国製である。その理由は、ブランドの生産拠点が韓国から中国に移ったからだろう。本物を作っている工場が、深夜にコピー品を密造している現場をテレビで見たことがある。本物とほとんど同じコピー品ができるのは、そうしたことが原因だ。作りやすい衣服や帽子などは、本物とまったく同じ物が生産され、密売されていることになる。

 「登録商標法違反」という法律がある。コピー品を密造したり販売した時に適用されるものだ。本物とまったく同じものでも、正規のルートを通さずに裏ルートで販売したら、この法律が適用される。しかし、リサイクル・ショップには、時おり本物のブランド品が破格の安値で販売されていることがある。そうした商品は、倒産品の場合が多いそうだ。それを知っているので、何度となくリサイクル・ショップに足を運ぶ。そうすれば、びっくりするような安値でブランド品が売られている。Tシャツやキャップやジーンズ等が、定価の10%くらいで買えるのだ。リサイクル・ショップで売っている安いブランド品は、99%は本物と断定できる。売る店の方がブランドの価値を知らない場合が多いので、買う方にとっては実に有りがたい。

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2008年5月24日 (土)

ブルージーンズが誕生した1873年

 リーヴァイスがジーンズの特許申請書を出したのは1873年だった。そこに添えられた解説図を見ると、一本の細いウエストバンドはついているが、右前にあるウォッチポケットは縫い付けられていなかった。本当にシンプルな作業ズボンだったのだ。1877年までに改良を重ねて、現在のジーンズの原型を作り上げた。この頃から「ダブル・エックス<XX>」という名前を使い始めた。これは「ダブル・エクストラ・へヴィー」の商業的な通称で、最も丈夫な10オンスデニムを使用していたのである。

 そもそもジーンズとは何か?ブルー・ジーンズとは、最低三つの条件を満たしていなければならない。その一つはブルー・デニムを使っていることだ。これは誰でも知っていることである。

 二つめは何かというと、ポケットの数が五つあることだ。これを「ファイブ・ポケット」と呼んでいる。三つめは何かというと、ジーンズのあちらこちらに打ち付けられた銅製の鋲である。これを「カバー・リベット」と呼んでいる。補強するために打ち付けられている。

 作業ズボンに鋲を打つことを思いついたのは、ジーンズの生みの親のJ・W・ディビスである。破れやすいウォッチポケットを補強するために、作業台に偶然に転がっていた鋲を試しにうちつけたのである。

 さて、どうしてジーンズの場合は、鉄じゃなくて銅のリベットを使うのだろう?鉄の場合はさびるけれども、銅はさびないし、銅の適度な硬さがジーンズに合っているそうだ。1870年以前にも、ブルー・デニムを使った作業ズボンは存在したらしい。「ファイブ・ポケッ ト」も存在したそうだ。ただ一つだけ、銅製のカバー・リベットだけが存在しなかったのだ。それじゃあ、いったい誰が銅製のカバー・リベットをデニムの作業ズボンに打ちつけたのだろうか?

 それは米国ネバダ州の小さい町の仕立て屋の男だったそうだ。その仕立て屋にカバー・リベット付きのデニムの作業ズボンを注文したのは、近くの木こりの男の女房だった。主人の仕事のために、どうしても丈夫な作業ズボンが必要だったからだ。こうして現在のブルー・ジーンズの原型が完成したそうである。

 リベットが鉄じゃなくて銅製なのには理由がある。デニムという生地に打ち付けるには、銅の適度な固さが最適なのだ。鉄のように錆びる心配もない。たまに緑青を吹くことはあるのだが。銅製のカパーリベットこそが、ジーンズらしさを演出する大切なパーツだと言える。

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2008年5月23日 (金)

グッチ製だった郷ひろみチェックスーツ

 例の郷ひろみのチェック・スーツは、どうやらグッチ製のようだ。グッチだからどうだってことないけど、グッチのトレンド・アイテムの一つだったことが、最近になって分かった。それを先取りして郷ひろみは例のチェック・スーツを着ていたのだ。「なるほど、そういうことだったのか」と納得させられた。

 今年のメンズのトレンドの一つに、「シャツジャケット」がある。シャツ感覚で気軽にはおることのできる、薄くて軽いシャツ生地一枚仕立てのジャケットが、今季のトレンドになっている。それと今年らしさを狙ったマドラスチェックを組み合わせたのが、グッチのチェック・スーツだったのだ。今季のトレンドキーワードの「プレッピー」「ネクスト・トラッド」と、マドラスチェックを見事に合体させたデザインということになる。

 本来はシャツ用のリネンやギンガムチェックやマドラスチェックの生地で仕立てたジャケットやスーツが、新しいアイテムとして注目されてきた。軽快で通気性の良いシャツ生地一枚仕立てのジャケットを、チノパンツやデッキシューズとコーディネイトしてプレッピーテイストに着こなすのである。コットンなので無造作に腕まくりすることもできる。今季はマドラスチェック風の生地が出回っていて、今年らしさを狙うならマドラスチェックということになる。洗うたびに色が褪せ独特のにじみが出るマドラスチェック。グッチのチェック・スーツは、まさにそのものズバリである。

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2008年5月21日 (水)

ダンディーな男

 ダンディーというのは、男だけに与えられた特権であり武器である。ダンディーを極めれば、30代後半から、40代、50代になってもカッコいい男でいられる。しかし、残念ながら日本人の場合、ダンディーな男は少ない。日本の大半の男が、中年と言われる年齢になると、申し合わせたようにオシャレをしなくなる。経済的な理由もあるかもしれないが、自分をアピールしなくなる。

 イタリアの中年男性たちは、本当にオシャレである。だからと言って、経済的な余裕があるわけじゃない。やみくもに服にお金を費やすんじゃなく、日本人よりも時間をかけて服を選ぶのである。その為には、時間の許す限り、ウィンドー・ショッピングをする。そして、自分に似合った服を買うのである。お金じゃなく時間をかけているのだ。

 中年になってからのオシャレというのは、その人間の生き様と重なるところがある。普通のサラリーマンは、普段着もサラリーマン風になってしまう。休日にジーンズをはいていても、サラリーマンだと見破られてしまう。どうしても、ありきたりの保守的なファッションになってしまう。そういう意味ではドブネズミのスーツが彼らに一番似合っている。

 ミュージシャンやアーティストやアパレル業界人やその他の一部の業界人は、ファッションに関しても自分のポリシーやオリジナリティーを持っている。中年になっても自己主張を続けてアピールをする。その結果、自分の年齢に合ったダンディーなスタイルを確立することになる。

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2008年5月20日 (火)

勝手にサザンオールスターズ

 サザンオールスターズが事実上の解散宣言をした。30年も音楽活動をやってたんだから、もういいだろうと思う。はっきり言って、あのバンドは、桑田圭祐のワンマン・バンドみたいなものだ。桑田がソロでやっても、同じことだと思う。一時期、桑田バンドでソロ活動していたことがあるんだから。

 有名なロック系のバンドの中で、サザンほどステージ衣装にこだわらなかったバンドはいない。若い時は、普通の湘南ボーイの格好を貫き、その後も派手さやトレンドとは無関係だった。ところが最近になって、「ダーリン」ではロカビリーっぽいスタイルを見せた。ダーリンの曲調とロカビリーファッションが、見事にマッチしていた。桑田もやるじゃないか、と思っていた矢先の解散宣言だった。

 サザンの場合は、桑田の音楽センスがセールスポイントで、けっしてアイドル的な存在ではなかった。サザンの音楽が好きな者がファンになっていた。だから30年間もトップアーチストの座を維持できたのだと思う。考えてみれば、親子でサザンの曲を聞いていることになる。こんなバンドはサザンだけじゃないだろうか。個人的には、「勝手にシンドバット」と「ダーリン」が好きである。

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2008年5月19日 (月)

郷ひろみの記事に対する弁解と誤解

 手痛く厳しいトラックパックをもらいました。郷ひろみのファンじゃないから、ピーコのような保守的な批判をしていると。違うんだな。昔から彼の歌は好きで、特に「哀愁のカサブランカ」は大のお気に入りの曲。そして当時の彼のダンディーなファッションは最高だと思っている。その路線を継続してほしかったんだ。言葉が足りなくて誤解されたことが、すごく残念で仕方が無い。

 郷ひろひは日本の歌手の中では珍しく、年齢を超越した存在だと思う。外国には、特にロック系にいっぱい存在しているけれど。そうした路線を突き詰めていくのも一つの方法だと思う。それとは違って、イタカジ系の渋くてダンディーな大人の男を演じるのも一つの方法だと思う。そういうことを言いたかったんだけどな・・・・

 三十代の男がいくらダンディーなスタイルをしても、まだ本物じゃない。その点、郷ひろみなら、本物の大人の男を感じさせてくれるはず。それができる数少ない存在だと思っている。「哀愁のカサブランカ」と「よろしく哀愁」を時々カラオケで歌っていることを知ってほしいんだけどな・・・

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ありふれたチェックが目新しい

 先日書いた郷ひろみのチェックのスーツに関する話に、意外な反応があって驚いた。「郷ひろみ」そのものじゃなく、アイビー調のチェックのスーツに関心があるみたいだ。最近のメンズのファッション雑誌を見ていると、確かにチェックのシャツ等がやたらと目に付く。ありふれたチェックを若いモデルたちが今風に着こなしている。スリムなパンツに短い丈のチェックのシャツと、小形の麦わらのカンカン帽なんかが目新しい。

 2008~2009年秋冬ニューヨークコレクションでは、チェック柄の服が目に付いた。この伝統的な模様に、デザイナーたちは色々なアイデアを加えて、新しいデザインを模索した。
 
 オーソドックスなタータンチェックから、グレンチェック、アーガイルチェックと、それこそ「チェックのコレクション」のような趣きだった。しかし、伝統的な既存の色や柄をそのまま服に使ったブランドは少ない。あくまで目新しさを追求し、格子柄を極端に大きくしたり、斬新で目新しい配色のものにした。

 ラルフ・ローレンの場合は、カジュアル系の印象が強い定番のチェック柄で、ゴージャスなロングドレスやジャケットをデザインした。アキコ・オガワの場合は「17世紀のスコットランド」がテーマの所為か、鮮やかなタータンチェックのケープとコサック帽を斬新なイメージで組み合わせた。

 マーク・バイ・マーク・ジェイコブスは、大胆な千鳥格子をポップなカラーでデザインし、現代的なイメージの服に仕立て上げた。他のデザイナーも、同じように伝統的な格子柄をポップな色使いでデザインし、斬新で華麗なイメージを作り出していた。黄色、オレンジ、グリーンといった鮮やかな色使いのチェックの服が、現代的で華やかなイメージを感じさせた。

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2008年5月18日 (日)

コギャルも着ているワンピース

 先日、デート中の高校生のカップルを見て思わず失笑した。男の子は普通のアメカジだったのだが、巻き髪の女の子の方は、明るいグリーンのタイトなシルエットのサテン地ミニワンピースを着ていた。そして網タイツにハイヒールで、軽いメークをしていたのである。はっきり言って、大人の女にしか見えない。そんな二人が手をつなぎながら歩いていた。

 男の子はどう見たって16才くらいの高校生にしか見えない。一方の女の子は、一人で歩いていたら20才過ぎの大人の女に見える。そのまま、お水のホステスをやってもおかしくない。黒い網タイツがすごくセクシーなのだ。本人はそんなこと意識せず、デートのために目イッパイのオシャレをしたのだろうが。

 男の子が小柄だったせいもあって、ハイヒールをはいた女の子の方が少し背が高かった。学校の制服姿の時は、同じ身長なのだろうが。しかし、ファッションによって、こんなにも変わるものかと、ファッションの魔力を改めて思い知らされた。目的がデートのためのドレスアップだからいいものの、夜の繁華街でうろついていたら、下心のある男たちが声をかけてくるに違いない。「援助交際を目的にしたコギャルたちのようにならないでね」と、そんなことを考えながら女の子を見送った。

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2008年5月16日 (金)

ヒップホップの男が犯人?

 京都府舞鶴市の女子高生の事件で、彼女と二人連れで防犯ビデオに写っていた男は、ヒップホップの格好をしていたそうだ。新聞によると「ジーンズをズリ下げてはき、キャップを斜めにかぶったヒップホップ・スタイルの若い男」ということだった。それはヒップホップという言葉を知らない年配の読者に対する説明でもある。

 その記事を読んだ時、舞鶴辺りではまだジーンズをズリ下げてはいている若者がいるんだな、と地方都市のフッションの現状を思い知らされた。東京や大阪のような大都会でなくても、最近は少し前のストリート系の若者を見かけなくなった。ルーズソックスと同時期に見事に姿を消してしまった。時たま、ジーンズを少しだけズリ下げている若者を見ることはある。それは以前に買ったウエストの広いジーンズを捨てるのがもったいないから、我慢してはいているに違いない。

 もしも、その男が犯人だとしたら、ヒップホップのスタイルをしていたことが、一番の手掛かりになってしまう。目立たない普通の格好をしていれば、もっと捜査も長引いていたのに。犯罪を犯す時の人間は、誰もが意図的に目立たない格好をするものだ。そうでなければ、黒いジャージに目だし帽をかぶったり、大きなマスクで顔を隠したりする。おそらく、警察の捜査はかなり進展しているのだろう。ヒップホップの格好をした若い男を割り出すのは簡単なことだから。ヤンキーやコスプレ等の目立つスタイルをした連中は、ようするに悪いことはできないってことだ。

 

 

 

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2008年5月14日 (水)

プラダの高級携帯は10万円だって!

イタリアの高級ブランドPRADA(プラダ)の携帯がドコモから販売されることになった。その端末が2008年5月8日、東京・青山のプラダ・ビルで披露された。店頭に並ぶのは6月の予定だ。

プラダケータイ「PRADA phone by LG(L852i)」の端末は、厚さ12.7mmのスリムなボディと3.0インチのワイドサイズのディスプレイを備えている。従来の携帯電話のようなキーパッドがないのが特徴で、ディスプレイを指でタッチして操作する。価格は現在調整中とのことだが十万円前後と噂されている。

 プラダ・グループでビジネス開発ディレクターを担当するジャコモ・オヴィディ氏は、「オシャレな若い世代への関心を引くとともに、より洗練された客層、積極的に新しい体験をしたい層にアプローチしていきたい。男性、女性を問わずに、モバイルを自己表現のツールとして使ってほしい」と話している。

 プラダは、イタリアのファッションブランドで、本部はイタリアのミラノ。最も影響力のあるファッションブランドの一つであり、人気が高くて世界中で店舗を展開している。プラダは誰も考えなかったナイロン地を使い、軽くて汚れにくくて使いやすいバッグを作り、あっという間に世界中にその名が広まった。 プラダのバッグや財布は他の素材も使用するけれど、ナイロン素材が定番で一番人気がある。ミュウミュウは1993年春夏にプラダが発表した姉妹ブランドで、特に日本の女性の間で人気が高い。

 果たして高級なプラダの携帯は日本で売れるのだろうか?もしかしたら、プラダやミュウミュウの大好きな女性たちの間でブレークするかもしれない。そんな予感がしてならないのだ。

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2008年5月11日 (日)

秋葉原の馬鹿げたコスプレ騒動

 最近、秋葉原がややこしくなっている。コスプレの連中が集まってきて、お祭り騒ぎをしているそうだ。それを所轄の警察が厳しく取り締まり始めたのである。その模様をテレビ番組が報道していた。今のアキバは、少し前の「電車男」のオタクたちじゃなく、ややこしいコスプレたちの街になってしまったようである。バブル期の古い時代の秋葉原を知っている人間にとっては、信じられないことである。

 個人の趣味としてのコスプレは、本人の自由なので否定することは出来ないが、最近のアキバの馬鹿騒ぎは目に余るものがある。「馬鹿じゃないの」と言いたくなる。電気製品を買いに来る人間にすれば、邪魔で目障りなゴキブリみたいな存在になっているはずだ。だから警察が取り締まるのである。

 アキバがコスプレの街になったのは、メイド喫茶の存在が大きい。メイドのコスチュームもコスプレの一つである。好き嫌いで言えば、メイドのコスプレは嫌いだ。と言うよりもメイド喫茶そのものが大嫌いだ。いずれ近いうちに、消えて無くなると思っている。あんな馬鹿げたものが、いつまでも商売として成り立つはずがない。

 若者のファッションそのものが、少し前のストリート系のだらしなくてルーズなスタイルから、プレッピーやアイビーといった保守的なものに変わりつつある。そうなってくるとコスプレは、単なる変態系の馬鹿げたファッションとして笑いものになるだけだ。女子中高生がルーズソックスを脱ぎ捨てたように、いずれメイド系のコスプレも消えて無くなるに違いない。
 

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2008年5月 5日 (月)

花柄プリントの服

 流行じゃないけれど、最近、レディースで時おり明るい花柄を目にすることがある。最近の花柄には、いろんなタイプがあって面白い。ピンク系の明るいもの、クールなグレー系、そして花の大きさも大小様々である。女らしい花柄もあれば、シンプルでマニッシュなものもある。花柄にもいろいろあって、似合うのを自由に選ぶことができる。それに比べて、昔のワンピースなんかの花柄は、どちらかと言えばビビッドで大柄なものしかなかった。

 60年代のロンドンでブレークしたメンズのモッズ・ルックは、シャツや太めのネクタイが派手な花柄で、若い時のビートルズなんかも身につけていた。男がカラフルな花柄を着たのは、後にも先にもモッズ族しかいないんじゃないだろうか。さすがに日本では真似をする男性は少なかった。当時の日本の男に、花柄は似合わなかったのだ。

 上から下まで花柄オンリーみたいなコーディネートは今風じゃないかも。花柄の単品といつもの服を組み合わせるのが今風なのだろう。そうすればいろんなオシャレが楽しめることになる。花柄の服は女性だけのアイテムなので、もっと積極的に身につけてほしいものだ。

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2008年5月 4日 (日)

「楽カジ」がメンズのトレンドに

 今季のメンズブランドの共通のテーマは、「心地よさ」「リラックス」をキーワードにした「楽な服」のようである。事実、ショップで売れているのは、楽に着られる服ばかり。といっても、以前のストリート系のようなルーズで、だらしないものじゃなく、ラフという言葉がぴったりのスタイルだ。

 それじゃあ、「ルーズ」と「ラフ」の違いは何なのか?一般的に解釈されているのは、ラフは「気楽でリラックスした」という意味である。一方のルーズは、「だらしなく、しまりがない」といったことになる。少し前のストリート系のスタイルは、まさにルーズの見本と言える。

 「ラフ」の場合、気楽なスタイリングであっても、要所要所は引き締めなければならない。シャツは必ずパンツの中に入れ、引きずるほど長いズボンの丈はご法度である。引き締めるところは引き締めながら、ちょっとしたところにラフの見せ場をつくるのである。「ラフだけれどもエレガント」といったスタイルを、最近になってサンローラン等のヨーロッパの有名ブランドが提案している。

 「楽カジ」の軸となるアイテムは、ジャケットということになる。昔のアイビーのような堅苦しくてキッチリとしたものじゃなく、軽快でリラックス感のあるジャケットが新しい。そうした軽快なジャケットが今年のトレンドになるのだろう。ビビル大木がよく着ているネイビーに白のパイピングをしたパイピング・ジャケットは、メンズだけじゃなく、レディースのトレンドにもなりつつある。

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2008年5月 3日 (土)

ブルーが似合う伊達公子

 元テニスの女王伊達公子が37才で見事に復活した。テニス界に再デビューすることを表明するまでは、はっきり言って彼女のことは忘れていた。記憶の片隅にも彼女の名前は存在しなかった。どんなに名選手であっても、引退して10年も過ぎれば、遠い過去の人になってしまうのだ。

 そんな伊達公子の復活劇を興味深く見た。プレーそのものよりも、37才の中年になった彼女の顔やスタイルや動きに熱い視線を投げかけた。全体の印象は昔とあまり変わっていなかった。実年齢より顔も動きも若々しい。

 何よりもブルーのコスチュームが印象的だった。すごく似合っていると思った。ブルーは日本人が苦手とする色で、着こなすのが難しい。しかし、今の彼女にはピッタリの色だと思った。男性の場合は「渋み」という表現があるけれど、それと同じものが今の彼女にもある。下手すると幼稚で軽軽しく見えるブルーを、中年になって深みを増した人間性によって相殺しているのだ。本当にブルーがきれいに見えた。

 若い浅田真央もライトブルーが似合っていたが、それは単に生地の染料のブルーの美しさでしかない。しかし伊達公子の場合は、彼女の人生の深みや美しさが、コスチュームのブルーの染料に染み込んできれいに発色していた。

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2008年4月27日 (日)

「相棒」の水谷豊は昔チンピラだった?!

 水谷豊と寺脇康文のコンビで人気のある刑事ドラマ「相棒」が映画化された。中年刑事右京の水谷豊は、実に渋い役作りをしている。英国の紳士然としたダンディーなスーツ姿でバッチリとキメテいる。アルマーニなんかのイタリア調の派手で遊び人風スーツを刑事が着るのは不自然だし、小柄な水谷豊には似合わない。その点、英国調のバリッとしたトラッドな服は、今の彼にぴったりだ。時代の流れも、シルエット重視でペラペラのイタリア調ソフトスーツから英国調の保守的なスーツに回帰しつつある。

 「相棒」の中で、時おり水谷豊が上着を脱いでいるシーンがある。スタイリストが意図してやっているのだろうが、そんな時は英国式サスペンダーがコーディネートのポイントになっている。それがけっこうサマニなっているのだ。日本人にしては珍しくサスペンダーが似合っていると思う。

 そんな水谷だが、若い時はチンピラがはまり役だった。当時は眼鏡をかけずに、リーゼントに似たヘアースタイルで、LEEのスリムなストレート・ジーンズに、日本ではジャンパーとかブルゾンとか呼ばれている紺や赤のG9ジャケットを着ていた。最近になって復活しつつあるアイビースタイルを、水谷豊はルーズに着こなしていたのだ。そうした彼のスタイルは、元祖ストリート・ファッションと言えるのかもしれない。チンピラ役の時の水谷豊は、最近の彼とは別人のように軽妙でくだけた物言いとアクションだった。それが当時の視聴者に受けたのだ。もちろん彼のチンピラ・ファッションも、同世代の若者に少なからず影響を与えた。

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2008年4月26日 (土)

「アウトレットモール」ブランド服が超安い理由

 最近、埼玉県入間市に大きなアウトレット・モールがオープンして話題になっている。まさに巨大ショッピングセンターのような店舗だ。店内に並んだブランド品は、どれもが半値以下で売られている。中には7割引というものまである。アウトレットモールというのは、有名ブランド品のシーズン遅れや、サイズ不揃い品や、B級品と呼ばれる検品落ちのものを処分するためにアメリカで作られたショップだ。主にブランド品の在庫を処分するのが目的である。

 アパレル関連商品の場合、プロパーと呼ばれる正規の価格で売れるのは、製造数の70%程度である。残りの20%をバーゲンで販売しても、10%が売れ残って不良在庫になってしまう。有名ブランドにとって在庫品を、どう処分するかは、大きな悩みであった。売れ残ったからといって、極端に価格を下げればブランドイメージを損なってしまう。その結果、これまで不良在庫品は焼却されてきた。

 入間市のアウトレットモールには、アパレル以外の商品も置かれている。配送の途中で段ボール箱に傷がついたために、デパートからキャンセルされたものもあるらしい。中身は正常なのに、段ボール箱が原因でキャンセルされたのだ。そうした商品が破格の安値で販売されているのだから、消費者にとっては実に有りがたい話だ。

 アメリカで始まって定着したアウトレットモールだが、長い間、日本のブランドは二の足を踏んできた。在庫処分がブランドイメージを落とすことを懸念したからだ。そんな日本でも、数年前からは大都市郊外を中心にアウトレットのオープンが続き、今ではすっかり定着してしまった。ブランド品が安くで買えるのだから、繁盛しないはずがない。
 
 検品落ちのB級品といっても、限りなく正常なA品に近いものだ。ブランドのロゴマークの刺繍やプリントの位置がわずかにずれたりした程度のミスで、検品落ちしてしまうのだ。有名ブランドほど検査基準が厳しい。無名のブランドだったら、問題にならない程度のミスだといえる。そうしたB品が半額以下で買えるのだから、我々にとっては本当に有りがたい話だ。

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2008年4月23日 (水)

ファッション30年史と90年代

ファッション30年史

1964年 ・・・・・・ アイビー・ルックの流行
1965年 ・・・・・・ クレージュ、ミニ・スカート発表
1966年 ・・・・・・ ミリタリー、モッズ・ルックが流行
1967年 ・・・・・・ ミニスカートが大流行
1968年 ・・・・・・ ヒッピー&サイケデリック・ファッション
1970年 ・・・・・・ マキシスカート、ベルボトム
1972年 ・・・・・・ フォークロア
1974年 ・・・・・・ ニュートラが流行
1975年 ・・・・・・ メンズビギ創立
1976年 ・・・・・・ シティーボーイの登場
1978年 ・・・・・・ 竹の子族
1982年 ・・・・・・ カラス族登場
1983年 ・・・・・・ DCブランド・ブーム
1987年 ・・・・・・ ワンレン・ボディコンの流行
1988年 ・・・・・・ 渋カジ
1994年 ・・・・・・ シャネラー、グッチャーの登場
1997年 ・・・・・・ 裏原宿、セクシー系

<ストリート系・セクシーカジュアル系が台頭した90年代>

 米国のストリートでバスケットやスケートボードを楽しむ若者風俗の影響を受け、ダブダブのTシャツ、ハーフパンツ、ハイカットスニーカーが90年代前半に流行した。同時にロックバンドのステージ・コスチュームの作業服スタイルも注目された。

 94年から体にピッタリしたピタTシャツ、95年からへそ出しの丈の短いTシャツ&ちびシャツが登場し、しばらく流行が続いた。当時のファッション・リーダーは安室奈美恵であった。LA、ヤンキーなどと呼ばれたつっぱりのコギャルたちは、大阪では肌を露出したイケイケ・ファッションに、東京ではセクシー系ギャルに変貌していった。

 90年代後半からは「渋谷109」のセクシーカジュアル系が注目され、その人気は2000年代にも継続される。最近は見かけなくなったが、厚底ブーツをはいたたくさんの109系ギャルが街中を行き来していた。

 99年頃にミドルティーンを中心にした原宿ストリート・ファッションが、世界のメディアの注目を浴びるようになった。特にコスプレは外国にまで飛び火した。フランス人がセーラームーンの真似をしている写真を見て思わず笑ってしまったものだ。

 こうして振り返ってみると、ファッションも変化し成長しているのが実感できる。たかがファッション、されどファッシ
ョンである。

2000年前後・・・ストリート系・B系・ボーイズ系
          セクシー・コンサバ・ガーリッシュ系

           

 
     

     

       


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2008年4月22日 (火)

スマップのブレッピーと80年代

 テレビ番組「SMAPXSMAP」で80年代のヒット曲の特集をやっていた。米米クラブの石井竜也と、アンリを見たくてテレビのスイッチをいれたのだが、昔の懐かしいヒット曲に、ついつい聞き入ってしまった。音楽も良かったけれど、それぞれのフアッションが素晴らしかった。

 特にスマップのプレッピー風のフアッションは最高だった。メンバーのそれぞれが、違ったパターンで着こなしていた。プレッピーだけじゃなく、アイビー・トラッド系、コンチ系と様々である。シルエットはプレッピー風だが、イメージはイタリアンな感じがした。全員が黒くて細いスリムタイで、スタイリストが、全員の個性に合わせて違ったスタイルを提案していた。

 ゲストの郷ひろみのチェックのスーツは、昔のアイビーそのもので、現代には相容れないような気がする。どこかに目新しさをプラスしてほしい。もっと若い歌手が着れば、違った感じがするのかも知れないが。スマップたちが大人っぽい黒のスーツを着ている中で、郷ひろみの若作りは、かなり浮いて見えた。無理に若く見せるんじゃなく、年齢相応の渋さを追求してほしいものだ。

80年代の音楽に懐かしさを覚えながら、当時のファッションをあれこれ思い出してしまった。

1980年 ・・・・・・・・ テクノ・ファッション
1982年 ・・・・・・・・ カラス族登場
1983年 ・・・・・・・・ DCブランド・ブーム
1987年 ・・・・・・・・ ワンレン・ボディコンの流行
1988年 ・・・・・・・・ 渋カジ

そうした流行があった80年代が本当に懐かしかった。

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2008年4月21日 (月)

「エドはるみ」は元ボディコン?

 あまりテレビを見ないんだけど、たまたまスイッチを入れたら、エドはるみが出演していた。そんなことが最近よくある。それだけ、売れているのだろう。この前も、TOKIOの番組に出ていた。年齢はおそらく四十代半ば。コミカルなアクションで「グー!」という決めゼリフを言って笑わせる。

 そんな彼女の普段着は、ダークカラーのスーツが多いそうだ。そのスーツ姿を見た時、ひらめいたものがあった。もしかしたら、昔はボディコン系だったんじゃないだろうか。二十年前に大ブレークしたワンレン・ボディコンのイメージを、四十代になっても感じさせる。例えばオヤジになった矢沢永吉に、今でもロックンローラーを感じるのと同じである。

 ワンレン・ボディコンのギャルたちも、今では皆が四十代半ばの中年女になってしまった。エドはるみを見ると、いつもそんなことを考えてしまう。若い人には、単なる愉快なおばちゃんコメディアンでしかないのだろう。しかし、自分にとっては、笑うに笑えない複雑な存在なのだ。

 ジュリアナ東京で踊り狂っていたワンレン・ボディコンのお姉ちゃんも、原宿の竹の子族も、渋カジも、チーマーも、フィッピーも、みんな今では普通のオヤジやオバチャンになってしまった。やがて、ガングロギャルもそうなってしまうのだが、ガングロの場合は見分けがつかないだろう。顔を黒くしたオバチャンなんていないのだから。

 一つのブームが終わるということは、一つの時代が終わるということだ。エドはるみを見ていると、どうしても、そんなことを考えてしまう。彼女がどんなに愉快なギャグを連発しても「僕の心はいつもブレーキングー!」


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開襟シャツとオープンシャツが熱い

 開襟ファッションと呼びたくなる男性のスタイルが、今年になってブレークしつつある。 真っ白なスーツと真っ赤なシャツを組み合わせたり、ピンストライプのダークスーツに襟の開きの大きいシャツを合わせたノーネクタイの業界人やビジネスマンが目立つようになった。

 ノーネクタイなのに洗練された雰囲気がある。ラウンドカラーの襟をわざと立てたり、大きく襟を開いた胸元に銀のネックレスをアクセントにしたり、と個性的なのだ。スーツにネクタイを結んだスタイルでは少し堅苦しいし、ジーンズにポロシャツ姿ではカジュアルすぎる。そうしたケースで、開襟ファッションは、さりげなく優雅さを表現するスタイルとして広がってきたようだ。

 ただし、着こなしにはかなりのセンスが必要になってくる。快適であるけれど、シンプルなスタイルなので、おしゃれに見えるにはセンスと工夫が必要なのだ。この夏、洗練された開襟ファッションが、おしゃれ人間の間でブレークするかも知れない。

 この開襟シャツは、意外だけれども、暑い日本で生まれた日本製のシャツなのだ。麻のスーツとハットに開襟シャツを着た戦前の日本男性が、扇子を小脇に抱えた姿を写真や昔の映画で見かけたことがあるはず。

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2008年4月13日 (日)

レトロボーイ&レトロガール

 最近、60年代から70年代のレトロなファッションがブレークしつつある。サイケ、モッズ、ゴーゴーガールと呼ばれたスタイルが若者の間でトレンドになってきた。先日も昔のヒッピー・スタイルに似た格好をした男性を見かけた。

 裾広がりの黄色地のパンツと、長袖白Tシャツの上に柔らかい生地の短め黒ベストを着ていた。ヘアースタイルは、ゴーゴーガール風に前を切りそろえて少し長めだった。イメージは70年代であるが、やはり現代感覚で着こなしていた。

 サイケ・プリントと呼ばれた柄もリバイバルしつつある。「絞り染め」の明るい紫色が大流行した。最近、それに似たプリントが復活しつつある。レディースのトップスにそうしたプリントが使われるようになった。サイケというのは、ヒッピー全盛の頃に流行したサイケデリックという音楽スタイルのことだ。麻薬による幻覚作用をイメージしたロックミュージックだった。

 モッズはロンドンのストリート・ファッションで、初期のビートルズがモッズスタイルでキメテイタ。ゴーゴーガールというのは、モンキーダンスやゴーゴーといったダンスが流行した時の女の子たちのファッションで、最近、注目され出したロンドン・ガールに似たスタイルである。ゴーゴーミュージックに合わせ、両手を互い違いに上下させ、時おり腰を左右に振るのがパターンだ。黒いミニの皮のスカートと編み上げブーツがトレードマークになっていた。

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2008年4月 8日 (火)

超ブランド品は寿命が短い!

 衣料品はファッション性を重視し過ぎると、それに比例して長持ちしなくなる。デザイン性と耐久性は反比例するのだ。例え値段が10万円以上したとしても、デザインにこりすぎると、寿命は短くなってしまう。高いから丈夫だと思いがちだけれど、必ずしもそうじゃないのだ。

 以前に女性週刊誌にも取り上げられたことがあった。「家に置いておくだけで20万円のコートがぼろぼろに!」といった内容だった。この記事によると、高温多湿な日本の気候に合わない所為で、数年でボロボロになってしまうとのこと。この有名ブランドの衣料品に対するトラブルは、日本の代理店を巻き込んで大騒ぎになったそうだ。

 置いておくだけでボロボロになるのだから、クリーニング屋に出したりしたらもっと被害が大きくなる。例えデラックス仕上げでクリーニング屋に出したとしても、壊れやすいボタンやその他の付属品が損傷してしまう可能性が高い。その時の洗濯屋に対するクレームは、そのまま日本の代理店に向けられたそうだ。その結果、代理店が新品を弁償することになったらしい。

 とにかく日本人は西洋のブランドが好きである。女子高生までがグッチやヴィトンを持っているのは日本だけと言っても過言じゃない。ブランドが好きなのはいいんだけれど、そうしたブランドを過信しないようにしてほしい。有名で高いブランド品にも、欠点はあるものなのだ。それを知った上でブランド品を買ってほしい。そうしないと、後で泣きを見ることになるから・・・・

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2008年4月 6日 (日)

「メイド喫茶」が中国で大人気!

 テレビ番組で中国のメイド喫茶を紹介していた。メイドのコスチュームが秋葉原のそれと同じなので、びっくりさせられた。秋葉原のメイド喫茶をそっくり真似ているのだから、当然のことである。そうしたコスプレのメイドたちの接待方法が人気を呼んで、けっこう繁盛しているそうだ。

 最近の中国では、日本のファッションや風俗が若者たちに受け入れられているらしい。特にファッションは、同じアジア人ということもあって、西洋のものより親近感がもてるのだろう。我々の想像以上に、日本のファッション情報が中国に蔓延しているみたいだ。ギャル向けのファッション雑誌は、表紙からそっくり日本のものを真似ている。

 多くの日本のアパレルブランドが、中国で製品を製造しているので、日本のトレンドを真似るのは簡単だ。同じ型紙と生地を使えば、同じデザインの服を製造することは容易である。そうした服が中国で販売され、若者に受け入れられているのだろう。日本だって昔は西洋のファッションを真似ていたのだ。そうしている中から、独自のものを作り出すようになったのだから。

 日本のファッションや風俗が中国の若者に受け入れられることは、願ってもないことだと思う。第二次大戦で日本が犯した罪によって、中国では日本人に対する憎悪感が消えない。そうしたものを引きずらないで、両国の若者たちは付き合っていってほしいと思う。

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2008年3月31日 (月)

洗濯屋が恐がる「ヤクザ」のクレーム

 意外かもしれないが、ヤクザは洗濯屋の上得意客だ。しかし、ひとたび問題が起きると大きなトラブルになってしまう。とんでもないクレームをつけるからだ。相手がヤクザとなると、洗濯屋は泣き寝入りをするしかない。

 ヤクザのクレームの中には、大きく分けて2種類ある。クリーニングの不始末が原因のものと、最初から金銭目当ての詐欺まがいのものである。クリーニングの不始末の場合は、わずかなミスであっても全額を弁償させるのだ。アルマーニのスーツなんかは、数十万円もするので、洗濯屋にすれば、たまったものじゃない。

 もう一つの金銭目当ての詐欺まがいのクレームが、最近は増えているらしい。特に目立つのが、引換証を悪用したクレームだ。その手口はこういうものである。

 最初に、誰かがクリーニングに出しにくる。そして後日、別の人間が「代理で取りにきた」と言って、洗濯したものを取りにくる。店員がその言葉を信用して洗濯したものを代理人に渡すと、大変なことになる。その後、初めにクリーニングに出しに来た人間が、引換証を持って現れるのだ。
 
洗濯屋「代理の人にお渡ししました」
ヤクザ「そんな代理人なんて知らねェよ」
こうなると、引換証を持っているヤクザの方が強い。そうした手口で全額を弁償させるのだ。

 他にもこういうのがある。洗濯屋の店頭に大きなベンツが停車し、派手な女と数人のヤクザが出てきて、女が高級な毛皮をクリーニングに出す。そして店員が渡した引換証を持って男たちと一緒に店を出る。すぐにベンツは発車するのだが、数分後に男の一人が店内に姿を現す。
「さっきのコート、悪いけどキャンセルしてくれ」と言って、男がコートを持って出る。それから数週間後に、女が引換証を持って店に現れるのだ。そして、高級毛皮を弁償させるのである。