2009年6月 2日 (火)

バッタ屋の裏話/ファッション日記NO.2

 アパレルのバッタ屋の仕事は面白い。何よりも稼ぎが多いし、他にも役得がいっぱいある。縫製工場に山積みになったデッドストックを捨て値で買い取り、それを転売するのが本来の仕事なのだが。


 縫製工場には有名ブランドのサンプルがたくさん置いてある。それを手に入れることも可能だ。縫製工場と顔なじみになっているので、強引に貰っていくことが多い。1万円以上するものばかりで、本当にありがたい。


 そうして手に入れたものは、メンズなら自分で着るし、レディースなら知り合いにプレゼントする。ワイズやミチコ・ロンドンやコムデ・ギャルソンなどは人気があって、皆に喜ばれる。最近は若者向けのブランドが手に入るようになったので、渋谷109系なんかは、錦糸町の若いホステスにプレゼントする。


 そう言えば、Tシャツなんかは、店で買ったことがない。デッドストックの中で1番多いのがTシャツなんで、その中から自分の好きなデザインのものをピックアップする。最近でこそ世界的なブランドになった「ヒステリック・グラマー」のTシャツだが、昔はいくらでも手に入った。その時に手に入れたものが、まだたくさん残っている。


 若い時からファッションには興味があった。その所為か、アパレルのバッタ屋の仕事は面白い。縫製工場の社長に頼まれて、一緒にアパレル・ブランドの本社を訪ねることもある。都心のアパレル・ブランドのスタッフたちと対等に交渉するために、社長の横に座ってニラミをきかすのだ。一番の思い出は、フジテレビのユニホームの仕事で、フジテレビに行ったことだ。社員食堂で食事をした時に、見覚えのある若いタレントたちと相席になった。


ブログ「バッタ屋の裏話/ファッション・密造・コピー品」


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2009年5月20日 (水)

日本のアパレル・ブランドのコピー品

 中国の公州に日本のアパレル・ブランドのコピー品を大量に密造している工場があった。コムデギャルソン、BAPEといった人気ブランドが被害にあった。中国のコピー品なので、品質は最悪である。Tシャツの生地は薄くて、縫製はいい加減の神様だ。


 中国の若者たちの間で、日本のファッションがブレークしている背景がある。そこに目をつけた悪徳業者が、中国で販売するために密造を始めたのだ。コピー品なら中国の経済レベルに合わせた安い価格で販売できるので、それなりの需要があるに違いない。


 中国というのは、まさにコピー品天国である。以前にイベント会場で、ディズニーのキャラクターを真似て、問題になったことがあった。自国に世界的なオリジナル・ブランドが無いから、そうなってしまうのだ。


 同じコピー品でも、密造する国によって品質に大きな差が出る。日本のコピー品は限りなく本物に近い。最近の韓国製も品質が向上した。二十年前は、現在の中国のレベルだったのだが。


 広州の密造工場に中国当局の捜作が入った時、経営者は知らぬ存ぜぬを押し通した。工場内のコピー品は、前に工場を借りていた人間が残していった物だと、しらを切ったのだ。しかし、工場の奥から、首周りに縫い付けるブランド・ネームが大量に出てきたので、それが密造の証拠になってしまった。


 中国には、コピー品の密造工場を見つけだす仕事を専門にする会社があるそうだ。密造工場を捜して、それを外国のブランドの本社に報告するのである。そうしたビジネスが存在するほど、中国はコピー品天国ということだ。


 

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2009年5月10日 (日)

忌野清志郎

 70年代にRCサクセションが日本の音楽シーンにメジャーデビューした時は、ものすごいインパクトがあった。当時の日本のロックシーンは、現在と比べると実に低レベルだった。ビートルズ系のバンドが主流で、リズムよりもメロディーに趣がおかれていた。

 そんな中でRCサクセションはローリング・ストーンズをイメージさせた。すでに関西には「村八分」というバンドが存在していて、日本のローリング・ストーンズと形容されていた。それに対抗するかのように、RCサクセションが東京に出現したのである。それからは、東のRCサクセション、西の村八分という二つのバンドが、日本のローリング・ストーンズのファンから熱い支持を受けた。

 村八分の方はメジャーデビューすることなく消えてしまったが、RCサクセションはヒット曲を連発して、さらにメジャーなバンドに進化していった。極めつけは「雨上がりの夜空に」である。この曲を初めて聞いたときは、本当にスゴイ曲だと身震いがした。それから百回以上は聞いているが、まったく飽きることがない。いつでも初めて聞いた時と同じインパクトを感じるからだ。

 忌野清志郎のサウンドにボブディランとローリング・ストーンズを感じると、ビートたけしが言っていた。確かにそうかもしれないが、ストーンズよりはザ・フーを感じることがある。ザ・フーの「サマータイム・ブルース」のサウンドやイメージを清志郎の曲の中に感じる時がある。どっちにしても、日本のロックシーンに咲いた大きな花だった。ご冥福を祈ります。

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2009年5月 2日 (土)

バッタ屋とユニクロの共通点!?


バッタ屋・銀次郎の繊維業界裏話


 バッタ屋というと、裏社会で何か悪いことをしているみたいに思われている。それはまったくの誤解であり偏見である。バッタ屋といっても、きわめて真っ当な普通の人間たちである。それどころか圧倒的に善人が多い。


 日本の繊維業界の中心地は東京の下町で、フウテンのトラさんみたいな連中が集まっている。繊維加工の職人たちは、ほとんどが根っからの下町っ子で、実に単純で素朴な人間関係を形成している。そこに出入りしているバッタ屋も同じような人種で、お互いに持ちつ持たれつの関係をつくっている。


 繊維業界の製造した服の半分が、焼き捨てられてしまう。それを安く買い上げて転売するのが、バッタ屋の仕事である。そう言う意味では、繊維業界にとっても有り難い存在に違いない。バッタ屋が買い上げなければ、全部の服が焼却されてしまうのだから。実にもったいない話だと思っている。


 製造原価が1000円のものを、100円から200円でバッタ屋が買い取る。それを500円から700円程度で販売店に転売する。製造原価が1000円ということは、店頭の販売価格は3000円前後になる。正規のルートで問屋から仕入れる場合は、2000円前後になるものを、バッタ屋から700円で仕入れられるのだから、販売店も喜んでいる。


 正規のルートじゃない商品を扱うことに対する世間の風当たりが強い。それじゃあ、正規のルートって、いったい何なのだろう?中間に問屋が入っているかどうかの違いだけじゃないか。服を買う客たちには、まったく関係の無い話だ。問屋のことを意識しながら服を買う奴なんて皆無だと思う。客にすれば、1円でも安いものが欲しいんだから。


 正規のルートというのは、社会秩序を守るために、ある面では必要なものかもしれない。しかし、服の販売ルートなんかは意味が無い。ユニクロなんかは、製造から販売まで一貫してやってるから、安くてトレンドなデザインのものを販売できるのだ。服の売上が減少している中で、ユニクロだけは売上を伸ばしている。トレンドな服を安く買えるのだから、当然のことだ。


 製造から販売まで一貫して安い服を市場に流通させるユニクロと、問屋を除外し、正規のルートを外して安い値段の服を転売するバッタ屋は、ある面で似かよっているんじゃないだろうか。繊維業界におけるバッタ屋の存在は、ある意味で必要不可欠なものだと思う。売れ残って焼き捨てられる服を、見事に再生しているのだから。


 このブログを読んでる人で、ファッションとお金儲けが好きな人がいたら、バッタ屋になることを薦めたい。今回、バッタ屋とネットビジネスをプラスさせたマニュアルが、電子出版のインフォ・ジャパンから発売された。完全在宅でも可能。「5千円を一ヵ月で30万円に!」がキャッチコピーになっている。興味のある人は、下記をクリックしてアクセスしてちょうだい!

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2009年4月30日 (木)

10万アクセス突破!イチローと浅田真央と矢沢永吉

 ファッション中毒の訪問者が、累計で10万人を突破しました。こんなブログに、10万人の人がアクセスしてくれたことになります。本当に感謝しています。ありがとう!

 このブログを訪ねてくれる人のキーワードで1番多いのが、イチローなんです。2番目は浅田真央で、3番目は矢沢永吉ということになります。3人とも僕の好きな有名人で、ファッションだけじゃなく、人間的にも魅力を感じています。

 特にイチローのファッション・センスには脱帽します。フォーマルもカジュアルも、すごくお手本になるんですね。何よりも、自分に似合うファッション・スタイルを知っていて、いつも見事に着こなしています。マリナーズのユニフォームだって、すごく似合っていると思います。

 真央ちゃんは、少女から大人の女に変貌をとげている最中です。その真っ只中で、少しずつセンスが変化しています。その過程を見るのが楽しみであり、すごく興味を感じています。以前は安藤美姫のコスチュームに魅力を感じていたのですが、最近は真央のコスチュームに注目しています。ダークな色とレースをあしらった大人っぽいデザインが、本当に似合うようになり、安藤美姫とは違った大人の魅力を感じさせます。

 ついでに美姫のことを書かしてもらいます。彼女の顔って、まさに愛知県の独特の顔なんですね。日本全国の各地に、その土地の顔っていうのがあります。そう言う意味で、美姫は間違いなく愛知の顔だと断言できます。似た顔の知人が愛知に何人かいて、前からそう思っていました。もしかしたら、イチローも愛知の顔かもしれません。

 最後に矢沢の永ちゃんのことを書きます。若い人には馴染みがないと思いますが、昔はリーゼントのバリバリのロックン・ローラーだったんです。永ちゃんのコンサートには、ロックン・ロール族やヤンキーたちが集まって、コンサートの最中に喧嘩を始めるんです。それを永ちゃんが「止めろよ!」とステージから言って諭すんです。永ちゃんがそう言えば、すぐに客たちの喧嘩は終わって、中断した演奏が再開されるんですね。永ちゃんの歌を聴くと、いつもそのことを思い出してしまいます。

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2009年4月17日 (金)

日本発「姫ギャル・ファッション」が世界でブレーク

 ヨーロッパのファッション・ブランドのデザイナーたちが、新しいネタを見つけに原宿を訪ねるらしい。「カワイイ」という言葉は、世界で通用するようになった。「姫ギャル・ファッション」は世界中の女の子を魅了してしまったのだ。日本発のアニメ、ファッション、音楽などの隆盛を、アメリカのジャーナリストが「クールジャパン」と表現している。特に日本のマンガとアニメは世界中の若者を熱狂させている。

 日本のファッション誌「Ray」の中国版の売上は、月に100万部を越えようとしている。ファッション雑誌が100万部も売れるというのは、本当に異常な現象である。それだけ日本のファッションが、中国の若い女性をとりこにしているのだ。「世界のファッションのリーダーは今や日本になってしまった」と、東京に足を運んだ外国人バイヤーやファッション関係者の誰もが絶賛する。渋谷を中心にした原宿、青山、代官山のエリアは、ヤングファッションの世界的な情報源として世界中から注目されるようになった。

 アニメの影響を受けた日本のコスプレは、ヨーロッパの若者の間でもブレークしている。そうしたヨーロッパのコスプレブームを、テレビの報道でも取り上げることが多くなった。ヨーロッパの女の子のコスプレは、いろんな意味で面白い。女子高生くらいの年齢でも、日本人にすれば23才くらいに見える女の子がいる。そんな大人の顔をした大柄の女の子が、可愛いコスプレを着ていると、見ていて気持ち悪くなる。ちっとも似合っていないし、なんか変態っぽい感じがするからだ。日本で生まれたコスプレは、日本人にしか似合わないことを改めて感じることになる。

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2009年4月 9日 (木)

笑い者になった元ヤンキーと元暴走族

 先日、ある城下町の「お城祭り」を見に行った。その時のパレードで面白い集団を目にして、大笑いをした。パレードでは、地元の色んな集団が順番に行進していく。地元の中学や高校の吹奏楽部、日系ブラジル人のサンバチーム、地元の民謡愛好会といった連中が、ゆっくりと歩いていた。

 その中にアメリカのオートバイのハーレー・ダビットソンのチームが参加していた。二十人くらいの40才前後のオヤジたちが、大型バイクにまたがって行進していた。全員が元暴走族と思われる男たちだ。白髪混じりのリーゼントやパンチパーマに、イチローみたいなサングラスをかけていた。ロックンローラーとヤンキーを混ぜたファッションだった。

 市内の中心地をパレードするのだが、行進のスピードが遅すぎる。小さい街なので、道路を全面通行止めにできないからだ。三つの集団が通り過ぎると、後ろの集団は信号の手前で立ち止まることになる。ハーレー・ダビットソンのチームは、徒歩より遅いスピードでバイクを前進させなければならない。子供の三輪車と同じくらいのスピードだ。あまりの遅さに、オヤジたちの顔は怒り寸前になっていた。しかし、パレードの参加者なので、誰も文句を言えない。パレードでなければ、おそらく怒鳴り散らしていたに違いない。

 元暴走族もヤンキーも、中年になってしまえば、社会のルールに従がわなければならない。誰もがすごいストレスを感じたに違いない。ロックンローラーとヤンキーを混ぜたファッションだけは、バッチリときまっていたが、実になさけない元暴走族のオヤジたちだった。

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2009年3月31日 (火)

60年代の昭和ファッションの復活

 平成も二十年代にさしかかった。そんな中で、最近何かと注目されているのが、昭和時代のアナログ的な生活やアイテムである。インターネットと携帯の無かった昭和という時代に、中年はノスタルジーを、一部の若者は興味を抱いている。

 映画「三丁目の夕日」は、平成生まれの若者にも受け入れられた。昭和30年代当時の日本国民は、今から比べれば貧しくて、食べるものは当然のこと、服にも母親の手作りのものがあった。既製服は売っていたけれども、子供の普段着には、できる限りお金を使わないようにしていた。男の子のズボンはツギ当てだらけだったのだ。だけど、皆が同じように貧しかったので、イジメなんか無かった。

 平成元年は西暦の1988年になる。昭和の時代に青春期を過ごせたことを幸福に思っている。バブル期と重なって、誰もが自分の将来に大きな夢を持っていた。努力すれば夢が実現すると、思い込めた時代だったのだ。ファッションも五年のサイクルで大きく変化していった。次から次と新しいスタイルが生まれていった。それを見ているだけでも楽しかった。そしてワンレン・ボディコンのブームで昭和とバブル期は終わった。

 最近の傾向として、60年代ファッションが復活しつつある。当時のロンドンガールのスタイルが復活するのは間違いない。メンズのネクタイもズボンも細くなってきた。そう言えば、先日、久し振りに「かまやつ女」を見かけた。濃いめの草色のハットに、同系色のウエストを絞ったジャケットに、ワインレッドのストレート・パンツをはいていた。「かまやつ女」のスタイルも、実に昭和的だと再認識させられた。

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2009年3月30日 (月)

リーヴァイスとエビス・ジーンズ

 最近、ジーンズ・マニアの間で注目されているのが、日本製のエビス・ジーンズ。特に本場の大阪では人気が高いが、そんな大阪でも、エビス・ジーンズの名前の由来を知っている人は、意外と少ないような気がする。

 エビスというのは、リーヴァイスを真似、七福神のえびす様をもじってつけたブランド名だと思う。「Levi's」からLの文字を取ったら「Evi's」になる。エビス・ジーンズは韓国でも人気が高く、一時期、コピー品が販売されて問題になった。

 リーヴァイスの正式名はリーヴァイス・ストラウス社である。リーヴァイスがジーンズの特許申請書を出したのは1873年だった。そこに添えられた解説図を見ると、一本の細いウエストバンドはついているが、ウォッチポケットは縫い付けられていなかった。本当にシンプルな作業ズボンだったのだ。1877年までに改良を重ねて、現在のジーンズの原型を作り上げた。この頃から「ダブル・エックス<XX>」という名前を使い始めた。これは「ダブル・エクストラ・へヴィー」の商業的な通称で、最も丈夫な10オンスデニムを使用していたのである。

 1870年代のリーヴァイスの製品の中に、「ウエスト・ハイ・オーバーオール」というのがある。これは、まったく違うタイプのジーンズだ。ハイウエストで、後ろの胴回りの中央に、ウエストを調節する小さい尾錠のバックルが縫い付けてあった。ヒップポケットは右側に一つだけ。実際にはいてみると、おへその上の方にウエストがくるんじゃないだろうか。サスペンダーで吊り上げると、どうしても胴のあたりがゆるくなる。それを調節するために尾錠がついていたのだ。

 ぺコちゃんのファッションといえば、オーバー・オールである。オーバー・オールというのは、「デニム、またはそれ以外の丈夫な生地で作られた、胸当てや肩ひもなどの付いたゆったりとしたズボン」である。リーヴァイスによって1873年にジーンズの原型として誕生し、1930年頃から女性や子供の遊び着にもなったのだ。最近はほとんど見かけなくなったけれども。

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ジーンズの歴史を知りたい人は、下記のサイトにアクセスしてね!

ジーンズ中毒ヴィンテージCLUB

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2009年3月26日 (木)

誰でもバッタ屋になって稼げる!?

 自分の周囲には、バッタ屋を副業にしている知り合いがたくさんいます。その理由は、バッタ屋の仕事が実に単純で簡単だからです。ノウハウさえ知ってしまえば、誰にでも出来るものなのです。


 今、日本国内で一年につくられる外衣類<アウター>の総数は、約二十七億枚だそうです。これは日本人の一人が一年間で22枚の衣料品を買わないと、余ってしまう数量です。実際にどうなのかというと、半分以上が売れ残っています。売れ残ったものは全て焼却されるのです。


 「焼き捨ててしまうよりは、わずかでも金になった方がいい」というのが、小さいメーカーや縫製工場の考えです。その結果、バッタ屋等にとんでもない安値で売りさばきます。三十枚から五十枚の衣類が詰まった段ボール箱を、三千円から五千円で処分します。ということは、一枚が百円の計算になります。中に何が入っていても同じ値段なのです。2千円のものもあれば、1万円のものもあります。そうした衣料品を、誰でも二百円以下で仕入れることができるんです。


 定価が2千円から3万円程度の服を150円前後で仕入れます。それを五倍程度の価格で転売するのです。と言うことは、6千円が3万円、1万円が6万円、10万円が60万円になります。この方法で、自分も簡単に30万円を稼いだことが何度かあります。最近はインターネットがあるので、日本の何処に居ても、仕入れと転売が可能になりました。

 
 今回、そうしたバッタ屋の手法の中から、誰にでも可能な手口がマニュアルになりました。実際のバッタ屋の協力を得て完成させたノウハウなので、具体的に分かりやすく説明されています。ネットを使えば、すべての行程を在宅で行なうことも可能です。

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